この本をツイート Tweet
★画像クリックで拡大
●『1945,鉄原』注文書付きチラシ(PDF) ⇒ こちら
★「解放」の日、走り出した夢のゆくえは……
イ ヒョン 著/梁 玉順 訳/仲村 修 解説
シリーズ:YA! STAND UP
1945,鉄原
2018年3月刊
四六判並製 357頁
定価 2200円+税
ISBN978-4-87714-476-0 C8097
装画・カット:金 明和
装丁:桂川 潤
【対象:中学生から大人まで】
※中1以上の学習漢字にルビをふっています。
●目次
●書評
●関連書
★「作者あとがき」と「日本の読者のみなさんへ」を公開中⇒ こちら
1945年8月15日、「泥棒のようにやってきた」日本の植民地支配からの解放の日、朝鮮半島で人びとはなにを夢見ただろうか――。
朝鮮半島のほぼ中央に位置する街・鉄原(チョロン)。解放直後の混乱のなか、不穏な事件が次々と起こり、街に動揺がひろがる。そんななか、事件の真相を探るために3人の若者が38度線を越えて京城(現ソウル)へと向かうが……。
同じ民族であっても、「解放」がもたらす意味は様々だった。大地主のぼっちゃんながら身分のへだてのない世界を夢見る基秀(キス)、父親を殺した地主の家で小間使いをしてきた敬愛(キョンエ)、何としても京城へ行って自分を取り戻そうとする両班家の娘・恩恵(ウネ)、奴婢出身の越境屋・斎英(チェヨン)など、個性豊かな若者たちの夢が「解放」と同時に走りだす。
やがて、朝鮮半島を南北へと引き裂く大きな力が、彼らの運命を決してゆく。だが、自分ではどうにもならない現実に傷つきながらも、彼らは夢をあきらめない。歴史の流れは冷徹だが、それでも、彼らの姿は希望にあふれている。
韓国の実力派作家による、深く静かな感動を呼ぶYA小説の傑作長篇!
【対象:中学生~大人まで】
【作者あとがきより】
「泥棒のようにやってきた解放のその日、この街の通りを歩いていた人たちは、なにを夢見ただろうか。新祖国建設の槌音が高らかだったあの日、希望の礎石をすえるために汗を流した人びとは、なにを夢見ていたのだろうか。そして彼らは、彼らのあの日の夢は、どこにいったのだろうか。
私はその夢を復元したかった。その街を。その街に生きた人びとを復元したかった。この地の現代史がはじまったあの日の夢を、復元してみたかった。南でも北でも、力をもった人びとによって忘れ去られた彼らの声をよみがえらせ、現代の私や私たちに聞かせたかった。これからの世の中をつくっていく者たちに聞かせたかった。
私は、統一を当然のこととして受け入れる人間であるだけだ。率直にいうなら、熱心に統一を夢見たこともなく、いくことのできない北の地を恋しがる人間でもない。
しかし、鉄原で時間の境界を超えたあとでは、私はその日を夢見ている。漢拏山から白頭山まで一気に走っていけるその日を、そんなふうに大陸のあちらの国々のはてまで思うままに走っていけるその日を、夢見ている。その日がくれば、忘れられたあの地で鎮魂の歌を歌いたい。消え失せた夢のために、たしかに存在した魂のために。」
*全文はこちら
〈著者〉
イ ヒョン (以玄)
1970年、韓国・釜山市生まれ。ソウル在住。
2004年第10回全泰壱(チョンテイル)文学賞小説部門受賞を機に作家活動を始める。2006年童話「ジャージャー麺がのびちゃうよ!」で第13回チャンビ(創批)「すぐれた子どもの本」原稿公募大賞、2012年童話『ロボットの星』(SF)で第2回昌原児童文学賞を受賞。
童話に『チャンス バンザイ!』、『ロボットの星』、『今日の天気は』、『わたしはシルクロードをゆく』、『のら犬アクタンの重み』、『草原のライオンワニニ』、『壬辰年の春』、『プレイボール』、『氷河期でもかまわない』、『七本の矢』。
YA小説に『わたしたちのスキャンダル』、『ヨンドゥの偶然の現実』、『オォ、わたしの男たち!』、『1945,鉄原』、『あの夏のソウル』(『1945,鉄原』の続編)など。
そのほか、子どもの人権に関して『子どもは子ども』、韓国の鬼神やトッケビの話を集めた『鬼神百科事典』、『トッケビ百科事典』などがある。
〈訳者〉
梁 玉順 (ヤン オクスン)
1945年、大阪府生まれ。在日コリアン2世。オリニほんやく会会員。
1968年法政大学社会学部卒業。日本企業への就職を経て、フリーの編集者、翻訳者。96年ソウルの延世大学語学堂で学ぶ。
編・共著:『在日朝鮮人に投影する日本』(法律文化社)、『帰化』上・下、『方法論としてのヘーゲル哲学』(以上、晩聲社)、『男たちの生む生まない』(新水社)ほか。
共訳:『子どもたちの朝鮮戦争』(「ブックインとっとり1999」地方出版文化功労賞特別賞)、『日本がでてくる韓国童話集』、『愛の韓国童話集』、『鬼神のすむ家』(以上、素人社)、『韓国古典文学の愉しみ』(白水社)。
〈解説〉
仲村 修 (なかむら おさむ)
1949年、岡山県生まれ。韓国児童文学研究・翻訳。オリニほんやく会主宰。ブログ「オリニの森」。
岡山大学・大阪外国語大学朝鮮語科専攻科卒業。神戸市立中学校教員をへて韓国仁荷大学大学院修了。
著書:絵本『ユガンスン』(金石出絵、ソウル書林)。
訳書:『ヘラン江のながれる街』(新幹社)、『わら屋根のある村』(てらいんく)、絵本『黄牛のおくりもの』(いのちのことば社)、『韓国昔ばなし』上・下(白水社)、『朝鮮東学農民戦争を知っていますか?』(梨の木舎)他多数。
編訳:『韓国・朝鮮児童文学評論集』(明石書店)。
◆『1945,鉄原』 目次◆
1945
1946
1947
*
作者あとがき
日本の読者のみなさんへ
作品解説(仲村 修)
書 評
◆『こどもとしょかん』(2018年秋号・No.159)
◆『子どもの本棚』(2018年8月号)
同誌 編集後記より
◆『子どもと読書』(2018年7-8月号)
◆『図書新聞』(2018・6・16)
◆『朝鮮新報』(2018・5・14)
◆『社会新報』(2018・5・9)
◆『日刊ゲンダイ』(2018・4・28)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/228109
鉄原は朝鮮半島のほぼ真ん中にある街。
両親を失った敬愛は、10歳で当地の大地主である黄寅甫の妾、徐華瑛の屋敷で小間使いとして働きに出た。それから5年後の1945年8月15日、日本が戦争に負け長い植民地支配から解放された。
解放の喜びも束の間、街は混乱状態に陥っていた。親日派の黄寅甫は華瑛を連れて南の京城(現ソウル)へ逃亡、一方、寅甫の息子で敬愛の幼馴染みの基秀は共産主義運動に身を投じ鉄原に残る。敬愛の2人の姉もそれぞれ左派と右派に分かれ、まさにあちこちで骨肉の争いが繰り広げられていた。
そんな中、鉄原地区共産党副委員長で人望の厚かった洪正斗が殺害される。この事件の真相を探るために、敬愛と基秀は越境屋の案内で38度線を越えて京城へ向かう……。
解放直後の、南北双方の政治的思惑が入り乱れる街を舞台に、時代に翻弄されつつも生きる意味を見いだしていく朝鮮半島の若者たちの群像を描いたヤングアダルト小説。著者は現代韓国を代表する実力派作家。
◆『ふぇみん』(2018・4・25)
⦿韓国での書評より
(仮訳:梁玉順)
◆『ハンギョレ』(2012・6・22)
慌ただしい解放空間…‘夢’がくい違う悲嘆の友たち
「泥棒のようにやってきた解放のその日、通りを歩いていた人たちは何を夢見ただろうか」
『1945,鉄原』のはじまりはこの文章からおしはかれそうだ。『私たちのスキャンダル』『オォ、私の男たち!』などの作者イ ヒョンは、ある冬の江原道鉄原を訪れた。1950年韓国戦争(朝鮮戦争)を経て南韓に編入された鉄原は、1945年解放直後には北韓であったところだ。民統線(民間人統制線)の入り口から朝鮮労働党鉄原郡党党舎の建物を歩き回った作者は、民統線を超えて農作業をするひとりの老人と出会った。目で見た歴史の現場で話がさらにかさなる。
鉄原で生まれ育ち、生涯一つところで生きてきただけだが、老人の生は屈曲した歴史それ自体となった。日帝植民統治下で生まれ、朝鮮人民共和国時代を経て、戦争の渦中には米軍政統治を受け、いまは大韓民国の垣根内で暮らす。四つの国を体験したと言いうる。作家は老人を通して分断の壁の下に埋もれた話を聞いた。日帝の統治から解放され新しい希望に胸ふくらませた人々の話、糸巻きはそのようにほぐされていく。
『1945,鉄原』は解放を素材に歴史の激浪に巻き込まれた青少年たちを描いた長編小説だ。親日勢力家の家で召使をしていた敬愛、身分主義を捨てた共産主義者の坊ちゃん基秀、気位の高い両班家の娘恩恵、京城出身のモダンボーイ斉英など、多様な人物たちの話が展開する。
召使と両班の娘がへだてのない友人となり、平等な世の中が来そうだったその時、鉄原はまた恐怖に見舞われる。「鉄原愛国青年団」が立て続けにテロを起こし、人々は動揺する。敬愛、基秀、斉英は事件の真相を明らかにするため京城へと越南することを決心する。恩恵は自身の目的のため鉄原愛国青年団を密かに手伝う。鉄原一帯がざわめくなかで、それぞれの夢を守るため鉄原の子どもたちの戦いが始まる。
作家は解放という歴史的空間で、同じ民族でも年齢、信念、階級によって解放の意味が違っただろうという点に注目した。共産党政権のもと、持つ者と持たざる者の対立、古い友人であっても相反するところを見つめる基秀と恩恵、姉妹だが互いに理想が異なる敬愛と美愛など、葛藤におそわれる彼らの悲しみは心に迫る。しかし自分はどうすることもできない状況だが夢をあきらめない人物たちの姿が希望にみちている。敬愛の偶像だった洪正斗の言葉に作品のメッセージが込められている。
「我々はいつも弱く、愚かだ、それで揺れて迷う。しかし、何を夢見るのかを忘れなければ、いつでも自分の道に戻ってくることができる」(―金ミヨン記者)
〔書評〕
消えていく夢、善良な魂に捧げるレクイエム
ソン アンナ(童話作家、児童文学評論家)
イ ヒョンの長編『1945,鉄原』は激動期の現代史をあつかった青少年小説だ。作家は重い主題と膨大なスケールを軽やかに消化し、小説において歴史をどうあつかいうるかを示してくれる。本書には、いまの時代の人々と少しも違わない人物たちの夢、喜び、怒り、苦痛がものさびしく生きている。小作人だった両親を死に至らしめた地主の家で小間使をする敬愛、何一つ不自由のない金持ちの坊ちゃんだが、飢える友たちのいない公平に暮らせる世の中を望む基秀、骨の髄まで選民意識をもつ両班家の娘恩恵。同じ時空間に生きる仲間だが、生の基盤によって各々の解放体験はまるで違う。
解放後を語る文学作品がないのではないが、あちら側こちら側と分かたず全階層の声をあまねくあらわした本は少ない。事実わが文学は長い間支配層の談論一色だった。しかし、『1945,鉄原』では階層が違う人物たちが、おのおのの立場を最後まで固守する。読者は小説を読んで抽象的な歴史ではない血と肉を持った人間のこと、そして解放期の激動性を立体的に体験することができるであろう。
『1945,鉄原』とは、さほど魅力あるタイトルとは言い難い。しかし本を読みおえてみると、小説の全体性をもっとも含蓄をもってあらわしている題であることがわかる。そしてなぜ『1945,鉄原』であるしかないのか、かみしめることになる。
1945年という時間も消えてしまったけれど、作品の舞台であるかつての鉄原もやはり、戦争の渦中で噓のように破壊されてしまった。百貨店と劇場があり、料理屋がぎっしりと立ち並び、人々も賑わい楽しんでいた都市がまるごとなくなり、あの時間あの場所で人々が夢見た痕跡だけが、廃墟となった朝鮮労働党党舎の建物に残っている。
作家は1945年鉄原の再現を意図したが、真の意味で現実復元は不可能だ。指し示すことはできても決して事物に触れることのできない言語の運命くらいに、それは自明な事実だ。すべての序詞は固有の時空間にある。作品内に芸術的に創造した時間と空間が醸し出した世界。『1945,鉄原』は、作家イ ヒョンの夢、願いの復元された場所だ。
ミハイル・バフーチンは作品内時間と空間の結合方式、または時間と空間が使用される比率によってジャンルの差異が現れ、作品様式と作家の世界観を知ることができると言った。『1945,鉄原』は、特定時空間の再現を表明し意図することによって、結果的に小説のジャンルの特性を鮮明にした。神話、童話、小説のクロノトープとははっきりと違う。仮に「歴史童話」と呼ばれる本を思い浮かべてみると、『1945,鉄原』ぐらい特定の時と空間と人々を詳しく緻密に描き出した本を見出すのは難しい。歴史を素材とみなしたが、何よりもこの本は小説らしい小説である。
文学は認識と形状で構成される。小説的形象化ももっともだが現代史に対する認識、人間を見る視線がより信頼できる『1945,鉄原』。「消え失せた夢のため、善良な魂たちのため」鎮魂の小説を書いた作家の言葉を読みながら……
◆『ノーカットニュース』(2012・6・21)
解放とともに訪れた理念の葛藤 韓半島の激動期を描いた歴史小説
1945年8月解放を迎えた朝鮮の鉄原の地。共産党が権力を握ったそこで、両班家の召使だった敬愛は新しい世界に対する期待に胸ふくらませる。
そんなある日、鉄原愛国青年団という集団がつぎつぎとテロを起こし、鉄源は恐怖に襲われる。
事件の真相を明らかにするために敬愛たちは京城に行き、その間に解放の象徴である洪正斗が(鉄原愛国)青年団によって殺害されるが……新刊『1945,鉄源』は解放前後の激動の歴史を生き生きと描いた最初のYA小説だ。
小説の背景である1945年から47年の間は、韓半島が混沌に陥り筋道をつけることができない時期。6・25戦争(朝鮮戦争)が起こるわずか数年前であるこのとき、38度線以北の鉄原でもたくさんの反目と葛藤が起こる。
本書は歴史教科書においてわずかな文章でやり過ごされてしまった、現代史の生きた現場にわれわれを案内する。
(―李ジヌク記者)