★韓国軍事独裁政権に囚われた在日朝鮮人良心囚とその家族の物語
黄 英 治 著
あの壁まで
2013年12月刊
四六判上製 214頁
定価 1800円+税
ISBN978-4-87714-442-5 C0093
●目次
●書評・関連記事
●関連書
この壁と同じ壁のなかに、アボヂがいる。アボヂが閉じ込められている。
「負けるもんか! 負けてたまるか!」
1970年代から80年代にかけ、軍事独裁政権下の韓国で、「母国留学」や商用などで滞在中に「北のスパイ」のぬれぎぬを着せられ逮捕・投獄された在日朝鮮人は、100人以上とも言われている。
本作は、韓国を訪問中に無実のスパイ容疑で逮捕、死刑を宣告された“アボヂ”(父)を救出すべく、次々と迫る困難に立ち向かってゆく、ある「在日」家族の姿を描き出した長篇小説である。
〈著者略歴〉
黄 英治(ファン・ヨンチ)
1957年、岐阜県生まれ。
2004年、小説「記憶の火葬」で「労働者文学賞2004」受賞。
著書:『記憶の火葬――在日を生きる――いまは、かつての〈戦前〉の地で』(影書房 2007年)
(本書刊行時点)
◆『あの壁まで』 ◆目次◆
川の向こうへ
あの壁まで
駄駄っ児
特別面会
ポプラ
書 評
&
関連記事
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〈寄稿〉 崔哲教先生の再審無罪について
★今年(2019年)1月、本書『あの壁まで』の「アボヂ」のモデルである崔哲教さんの再審判決が、韓国のソウル高等法院にて言い渡されました。45年という時を経ての無罪判決でした。これを機に、著者の黄英治さんに、崔哲教さんの逮捕の経緯、獄中闘争、保釈から再審に至る経緯などについてご寄稿いただきました。(影書房・編集部)
黄英治
『あの壁まで』には、「崔哲教(チェ チョルギョ)先生に捧げる」との献辞が付されています。崔先生は私の義父で、本作のもうひとりの主人公であるアボヂのモデルは崔先生です。
崔哲教先生は二〇一三年三月、八十二歳で逝去されました。
先生は生前、「再審はしない」と頑強でした。韓国の民主化と祖国統一への信念よりも、「無実」だけを強調することへの違和感と、軍事政権時代の情報機関、検察、反共弁護士、裁判所が一体となった韓国の司法―裁判への懐疑が強くあったものと推察されます。
二〇一五年秋、韓国の「民主社会のための弁護士会」所属の弁護士らで組織する「在日同胞政治犯再審弁護団」団長の李錫兌(イ ソクテ)弁護士(現憲法裁判所判事)が拙宅を訪問。崔先生の長男、長女と対面し、この事件は典型的な「スパイでっち上げ事件だ。あなたのアボヂはスパイですか?」と説得されました。崔先生が法的には「北のスパイ」のままである事実を重く受け止めた私たちは、再審裁判を決心したのでした。
●崔哲教先生の逮捕・裁判・獄中生活の経過
1974年4月 親族訪問で到着した金浦空港から国軍保安司令部に連行
4月25日 当局が「崔哲教事件」(関連者7人)を発表
6月13日 ソウル刑事地方法院に起訴、ソウル拘置所に収監
10月21日 第1審死刑判決 24時間手錠生活が始まる
1975年2月28日 第2審死刑判決
5月27日 大法院上告棄却 死刑確定、再審請求
9月10日 再審請求棄却
1982年3月2日 死刑から無期に減刑「全斗煥大統領就任一周年特赦」
24時間手錠生活から「解放」
10月18日 大邱矯導所へ移監 特別監房の独房
1984年8月 転向 病舎の独房
1987年3月 雑居房へ 作業など
1988年12月20日 無期から懲役20年に減刑
1990年2月26日 徐勝氏をふくむ22人の「左翼受刑者」を含む1011人を三・一特赦
5月7日 盧泰愚大統領の訪日を控え「全政治犯の釈放」を要求してハンスト突入
5月21日 特別仮釈放にともないハンスト終了
崔先生は一九九〇年五月二十一日、釈放を要求する二週間のハンストの末に十六年間の獄中生活を終わらせることを当局に認めさせて、特別仮釈放されました。最終的な量刑は懲役二十年でした。
再審裁判の代理人を李弁護士にお願いするつもりでしたし、ご本人もそう決意されていたようで。しかし、彼がセウォル号特別調査委員会の委員長になって受任できなくなりました。そこで、同じく在日の元確定死刑囚の李哲(イ チョル)さんの再審裁判を担当し、無罪を勝ち取った張慶旭(チャン ギョンウク)弁護士を李弁護士が指名、受任してもらいました。
二〇一六年五月末に訪日した張弁護士とシン・ユンギョン弁護士と協議し、その場でこの事件に関連した崔先生のふたりの弟、遺族らと連絡がつき状況が急進展しました。その結果、この事件の関連者七人のうち、
@崔哲教(遊技業)―遺族・崔喜勝、崔鐘淑
A崔清教(商人)―本人、現在牧師
B崔台教(高校教師)―遺族・崔フィジュン、崔ソニ
C金種B(記者)―本人
が再審を決断し、弁護士と受任契約しました。
2016年9月 崔喜勝(長男)、崔鐘淑(長女)、孫順伊(夫人)の陳述書作成
11月29日 「崔哲教他3人の再審請求」をソウル高等法院へ提出
12月29日 ソウル高検 再審請求棄却の意見書
2017年12月20日 ソウル高等法院 再審開始決定
2018年4月5日 第1回公判
12月6日 第5回公判で結審
2019年1月17日 第6回宣告公判
主文「原審判決中、被告人らに対する部分を破棄する。被告人らは無罪」
判決は、
@民間人を捜査できない国軍保安指令部の要員が不法に連行・逮捕、過酷行為で陳述を得た証拠に証拠能力なし。
A外形上、中央情報部が捜査したことになっているが、実態は保安指令部。
B検事の捜査段階でも保安指令部の要員が拘置所へ訪れ圧迫。
C裁判でも必ず保安指令部捜査官が傍聴、裁判後には拘置所で面会。裁判段階で自分に不利な自白をくつがえすことは困難。
D証拠の収集押収も違法に行われ、事実誤認も多く量刑も不当
――を認定して、再審提起の被告全員に無罪を宣告しました。
判事は発言中何度も、軍事政権時代のことであるが、同じ司法に関わるものとしてこのような違法、不法な捜査の末に重刑を課したことを申し訳なく思う、と発言しました。
こうして私たちは、四十五年という長い歳月のすえに、私たちのアボヂ、叔父とその家族に無念にもかぶせられていた「北のスパイ」という汚名を晴らす第一歩を踏みだすことができたのです。
(関連記事)
●「静岡新聞」(2019年2月22日)
● 「神奈川大学評論」 78号(2014年7月31日発行)
● 「労働者文学」 2014年7月
●「図書新聞」 (2014年3月8日)
●「朝鮮新報」 (2014年2月26日)
http://chosonsinbo.com/jp/2014/02/0224ib/
●月刊「労働組合」 2014年2月号
●月刊「イオ」 2014年2月号
●「朝鮮新報」 (2014年1月20日)
●林浩治氏のブログ:「愚銀のブログ」より 2013年12月13日 (金)
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-5b6c.html
父親は死刑囚──反動の時代に抗う小さな灯
評者:林 浩治(文芸評論家)
12月6日、自民党・公明党により特定秘密保護法が強行成立させられた。「特定」と言っても何も特定していない。何が秘密か分からないから、自分でもなんだか分からないうちに逮捕されたりする。公表され得ない秘密を裁判官は公正に判断できるのか? 三権分立は大丈夫なのか?
NHKの朝の連続テレビ小説「ごちそうさま」は、現在大正12年(1923年)まもなく関東大震災だが、まさに大正デモクラシーの真っ最中だ。そして震災を経て1925年には悪名高い治安維持法が制定される。この治安維持法はどんどん拡大解釈され、あまりにもつじつまが合わなくなってきたので1941年に大幅改訂された。つまり大正デモクラシーも昭和の始まりと共に終わり、日本は戦時ファシズム国家に変貌していったのだ。特定秘密保護法とは現代の治安維持法と言っても過言ではない。
日本が戦後民主主義を謳歌していた現代史の一時期に、韓国には軍事独裁政権が居座った。むろん、朝鮮半島の政治的分断を招いた根本的原因が、日本による植民地支配にあることは言うまでもない。黄英治『あの壁まで』の主人公スギは在日朝鮮人だ。中学生のときに、祖父家族の住む韓国に父親が行ったきり戻らなくなる。朴正煕が軍事独裁政権を確立し、民主主義勢力に凄惨な弾圧を加えていた時代だ。ちなみに現在の朴槿恵大統領は、朴正煕の娘だ。
「韓国」籍の在日朝鮮人である点を除けば、両親と弟妹たちと暮らす平凡な女子中学生だったスギを、突然襲う現代史の大きな罠。韓国に行った父親が北朝鮮のスパイ容疑で逮捕され、死刑を宣告されてしまった。父の救出・救援のために奔走する母。スギも救援集会や家の仕事で学校を休みがちになる。
中学校で孤立していたスギも、高校に入ると仲の良い友だちを作り青春を謳歌するようになった。その一方で死刑囚の父を救うための家族の闘いは続いている。両方とも自分であるのにその間で揺れていて、友人や先生たちに在日韓国人政治犯の娘である自分をさらけ出せない。友人から聞かされたサイモン&ガーファンクルの歌に自分を重ねて、心の壁を確認する。
スギはやがて先生や友人たちを救援運動に巻き込んでいく。そして朴正煕政権から、短い「ソウルの春」と凄惨な光州事件を経て、全斗煥政権に移った韓国に行き来するようになる。囚われの父に面会するためにだ。韓国で味わう屈辱と愛情が彼女をよりたくましく育んでいく。この小説はスギの成長を描いた教養小説の趣も持っている。
スギが面会に通った西大門刑務所は、現在も残っている。ソウル西大門区にある「西大門刑務所歴史館」がそこだ。もとの西大門刑務所をそのまま博物館として使用している。外観はアウシュビッツもかくあらんと思わせる雰囲気で、見学に足を踏み入れると静謐な時間の流れに包み込まれる。日本帝国主義支配の時代には多くの独立運動家たちが収監され、殺されていった場所であり、戦後の独裁政権時代には民主主義運動に関わった市民や学生・労働者が収容された。スギのアボジ(父)もここに収監されて、終日手錠をはめられていた。〈屈服を強いるために手錠をするんだ。監獄に囚われて自由を奪われているうえに、両手が突っ張って眠ろうにも眠られず、飯を食う、排便をする、服を着替えるという人間にとって基本的なことすべてが、看守の許可なしにできない状態をつくる。この制度は日帝時代からの悪習だよ。だから監獄は、思想転向制度とあわせて日帝時代のままだった。〉
韓国の軍事独裁政権の人民弾圧は、日本帝国主義の植民地人民弾圧を踏襲している。韓国の軍事独裁政権は、日本の軍事ファシズムの模倣であり子孫であり残滓だ。スギのアボジをでっちあげのスパイ容疑で逮捕したのは、富国強兵の日本軍国主義の実態を伴った亡霊なのだ。
黄英治『あの壁まで』は、一読すると韓国独裁政権に苦しめられた在日韓国人家族の健気な話として読まれうるのだが、実のところ日本帝国主義を告発した作品でもある。一人の少女の精神的成長に私たちは、良かった良かったと拍手を送るのではなく、「特定秘密保護法」に反対する、反動の時代に抗う希望の灯として読みたい。