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「日の丸・君が代」を踏み絵にした東京都の民主的な教育破壊の実態

根津公子

自分で考え判断する教育を求めて
「日の丸・君が代」をめぐる私の現場闘争史

2023年10月末刊
四六判並製 336頁
定価 2000円+税
ISBN978-4-87714-498-2 C0037



●目次
●推薦のことば
●書評・関連記事

●関連書
●試し読み




とちがうことを言うのは、60歳に近い私にとっても、勇気のいることです。だからいま、どきどきしています」(略)
 私は「君が代」が嫌いだから立たないのではありません。「日の丸・君が代」について知り考えることをさせずに、ただ立ちなさい、歌いなさいというのは、学校がしてはいけないと思うから、立てない・立たないのです。皆さんは、「君が代」の歌詞の意味や歴史を知っていますか? 教育委員会がなぜ皆に歌ってもらいたいと思っているのか、知っていますか? 考えたことありますか? 
 「斉唱」の前に、「君が代」について学び、考えあう。それが学校のすべきことだと、私は思うのです。〉
――本文より(2007年4月、町田市立鶴川第二中学校での離任式での生徒たちへの言葉)

2003年、東京都教育委員会は「10・23通達」を発出。卒業式・入学式などでの国旗掲揚・国歌斉唱の実施指針や、通達に基づく校長の職務命令に従わない教職員の処分を可能にしました。

しかし、「日の丸・君が代」の強制を拒否する教員を処分し、上意下達を徹底したことで、東京の教育は良くなったでしょうか?

東京都の民主的な教育はどのように壊されていったのか。11回の懲戒処分を受け、〝停職6か月の次はクビ〟と脅されながらも闘い続けた中学家庭科教員の不屈の記録。


〈編著者〉
根津 公子 (ねづ きみこ)
1950年神奈川県生まれ。
1971年4月から2011年3月まで、東京都内の公立学校・都立学校教員。
生徒たちが自分で考え判断する力を身につけてほしいと、授業づくり(主には中学校家庭科)に取り組んできた。しかし、東京都教育委員会(都教委)による現役中の処分は11回、市教育委員会による訓告が2回、そのうち、「君が代・不起立」では、都教委による停職6か月処分・3回を受ける。

著書:『希望は生徒』(2007年)、『増補新版 希望は生徒』(2013年・ともに影書房)
共著:『学校に思想・良心の自由を――君が代不起立、運動・歴史・思想』(2016年・影書房)



◆『自分で考え判断する教育を求めて』 目次◆

はじめに

1.私の教育観と教育実践 
2.「君が代」不起立以前に受けた処分

    Ⅰ  1994年3月 、八王子市立石川中学校での卒業式の朝、校長が揚げた「日の丸」を降ろして減給1か月処分
Ⅱ  1995年、学級だよりで文書訓告に
Ⅲ  1999年2月、自作のプリント教材で文書訓告に
Ⅳ  石川中学校での「日の丸・君が代」の変遷
Ⅴ  「日の丸・君が代」の特設授業
Ⅵ  多摩市立多摩中学校での「従軍慰安婦」の授業に端を発した1年にわたる攻撃、そして減給3か月処分

3.私が受けた6回の「君が代」不起立処分
4.戦後の教育行政
5.「日の丸・君が代」強制のねらいは
6.なぜ重い?「君が代」不起立処分
7.処分によって私は

    Ⅰ  2003年度 調布市立調布中学校で
Ⅱ  2004・05年度 立川市立立川第二中学校で
Ⅲ  2006年度 町田市立鶴川第二中学校で
Ⅳ  2007年度 都立南大沢学園養護学校で
Ⅴ  2008年度 都立あきる野学園で

8.「君が代」不起立裁判は

おわりに
  *
■付1 教職経歴と処分歴
■付2 各裁判の判決の経緯(表)




 


推薦のことば

 


















書 評




◆『ふぇみん』(2024・2・15)





◆『しんぶん赤旗』(2024・1・21)
評者:永尾俊彦(ルポライター)




 
 試し読み

(※本書3~7ページより)

 はじめに


 私は1971年から40年間、2011年に定年退職するまで東京都の教員をしていました。そのうちの多くは、中学校の家庭科を担当し、子どもたちが事実をもとに自分の頭で考え判断することができるようにと願って授業を組み立ててきました。新採用時から同じ姿勢で仕事をしてきましたが、後半の1994年からは処分が連続しました。1994年には職員会議の決定を反故にして校長が揚げた「日の丸」を降ろして減給処分、1995年および1999年には「日の丸・君が代」に関する、手書きのプリントで文書訓告(処分よりも軽く、賃金の減額はない)、2002年には日本軍「慰安婦」の授業に端を発した攻撃で減給処分、2005年以降は卒業式・入学式での「君が代」起立を拒否して6回にわたる減給から停職6か月処分。免職の一歩手前まで行き、毎回、次は免職か、と不安に襲われ続けました。2004年から東京都教育委員会(以下、都教委)が「君が代」起立(音楽科の教員には伴奏)の職務命令を出すよう校長に命令し、その職務命令を拒否した教員を懲戒処分(以下、処分)するようになったことで、私は毎年処分されることになったのです。

 「君が代」不起立・不伴奏処分を、都教委はなぜ始めたのでしょう。

 都教委は、「儀式的行事として、会場全体が厳粛かつ清新な雰囲気に包まれることは、児童・生徒にとって、無形の指導」であり、「起立する教員と起立しない教員がいると、児童生徒は起立しなくてもいいのだと受け取ってしまう(から、起立しない教員を処分する)」のだと言います。すべての教員が「君が代」起立斉唱する姿を見せることによって、子どもたちは意味を考えずに、あるいは意味がわからずとも同じ動作をする。そういうものだと思いこまされる。上からの指示命令には考えずに従うものだと子どもたちに思いこませることが、「君が代」不起立教員を処分することの一番のねらいです。

 「日の丸・君が代」は戦前・戦中、学校教育で教え、日本のアジア侵略に使ったハタとウタ、そして「君が代」は戦前の天皇主権の大日本国憲法下での天皇を讃える歌。「国民主権」となった戦後社会の歌ではありませんし、侵略戦争を再びしないと決めたはずの日本が尊重すべきではないハタとウタと私は認識します。

 でも、「日の丸・君が代」に否定的な価値観をもっているから「君が代」起立を拒否したのではありません。「日の丸・君が代」に肯定的な価値観をもっていたとしても、私は「君が代」起立はしなかったと思います。私は何ごとに対しても、自分の頭で考え判断して行動するべきと考えますし、実際に、そう行動してきました。生徒たちに対しても、そう働きかけ、授業でもそのことを心がけてきました。ですから、考えずに指示命令に従うこと、上意下達を良しとする教育行為に加担することはしてはならないと考え、次は免職かと脅えながらも、起立をしなかったのです。

 いま、貧困に窮する人たちが大勢いるのに政治が動かないのも、それに声をあげる人が少ないのも、人々が上意下達に馴らされているからではないかと私は思っています。「上」に対して声をあげていいのだと多くの人が思える社会、「個性」「人権」が尊重される社会にしたい。そうした考えが、私の教育観、人間観の根底にあります。

 いま、日本社会でも「多様性」が言われるようになりました。「多様性」が尊重されていない現実があまりにも多いことから言われるようになったわけですが、「日の丸・君が代」の尊重・「君が代」起立斉唱の押しつけは、「多様な価値観」にも反します。「多様性」の否定は文部科学省(以下、文科省)や教育委員会など国家機関が行なってはいけないこと、民主主義が活きた社会ではありえないこと、学校教育がしてはならないことだと思います。


 1945年の敗戦までの日本の学校教育は、「天皇のためには身を挺す」ことを教えこみ、子どもたちを戦場に駆り立てました。それと同じことが「日の丸・君が代」尊重、「君が代」起立斉唱で行なわれてきたと、いまの政治状況下でとりわけ思います。いまは「新たな戦前」です。

 2022年12月、岸田政権はロシア・ウクライナ戦争に便乗して、軍事費(防衛費)をこれまでのGDP比1%から2%に倍増し、「敵基地攻撃能力」の保有を、閣議決定のみで決定しました。憲法に抵触することを議論なく政府のみで決めたのです。

 指示に従うのが当たり前と教えこまれた自衛隊員が、侵略戦争に駆り出されることを拒否できるだろうか。自衛隊員が足りなくなり、何らかの形の徴兵で集められる若い人たちが、それを拒否できるだろうか、とても心配です。人権教育もまた、学校ではされてはいませんから、なおのこと心配です。


 1997年に誕生した右翼団体の日本会議には自民党系国会議員の多くが参加し、その影響力は政治に如実に及んできました。「東京から日本を変える」と豪語した石原慎太郎氏もその1人です。氏が都知事になったのは、1999年。2期目に入った2003年、石原都知事は、お友だちの横山洋吉氏を教育長に任命。横山教育長は、上記した「君が代」起立・伴奏を拒否した教員の処分を始めました。処分し上意下達を徹底したことで、東京の教育は良くなったでしょうか。

 当時、教員たちの多くは、「日の丸・君が代」の強制に反対の考えをもっていました。しかし、2004年からは、反対であってもほとんどの教員は起立・伴奏する、あるいは欠席するという選択をしました。それだけではなく、それまでは朝学活等で政治的問題を「今日のニュース」として生徒に話す教員がかなりいましたが、それさえも自制するようになっていきました。一方、都教委は職員会議での挙手・採決禁止まで各学校に通知したものですから、教員たちの討論・採決によって学校をつくっていくことができなくなりました。2000年には校長による教員の業績評価が始まり、2006年からその評価で給料に差が出る仕組みになりました。例えば、いじめ自死が起きた場合、学校側は、「いじめに気づかなかった」と言いますが、気づかないはずがありません。自分のクラスでいじめが起きたら、その教員の業績評価は下位にされる。さらには、「指導力不足等教員」にされ、2年の研修を経た後、免職にされるかもしれないという恐怖感を教員はもち、同僚に相談もできないのだと思います。これは、上意下達の体制下で管理された教員たちに、子どもたちを守ることはできない、その一例です。

 「君が代」起立・伴奏の職務命令を筆頭とした教員管理は、子どもたちの命さえ奪うということです。「日の丸・君が代」の強制と処分をはじめとした教員の支配管理・弾圧が教育を、政治を、社会をどう歪めていったのか。ともに考えていただけたらと願います。

 なお、本書の内容は在職中に出版した拙著『希望は生徒』(2007年)、『増補新版 希望は生徒』(2013年、ともに影書房)と重複する部分が多々ありますが、全体像を見ていただくためには必要と考えてのことです。ご了承ください。







◆関連書◆

『希望は生徒――家庭科の先生と日の丸・君が代 増補新版』 根津公子 著

『学校に思想・良心の自由を――君が代不起立、運動・歴史・思想』
根津公子、河原井純子、山田昭次、安川寿之輔、田中正敬、大森直樹 ほか著

当たり前の日常を手に入れるために―性搾取社会を生きる私たちの闘い』 仁藤夢乃 編著

 『金子文子――自己・天皇制国家・朝鮮人』 山田昭次 著

『友だちを助けるための国際人権法入門』 申 惠丰 著

『#鶴橋安寧―アンチ・ヘイト・クロニクル』 李信恵 著

『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』 梁英聖 著

 『定本 千鳥ケ淵へ行きましたか』 石川逸子詩集

 『〈日本の戦争〉と詩人たち』 石川逸子 著

『一緒に生きてく地域をつくる。』 生活クラブ連合会「生活と自治」編集委員会 編