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〔旧版〕
★新装・普及版として待望の再刊
李正子 著
鳳仙花 のうた
新装版 2012年12月刊
四六判並製283頁
定価 2000円+税
ISBN978-4-87714-297-1
(旧版:2200円+税 2003年3月刊)
●目次
●書評
●関連書
はじめてのチョゴリ姿に未だ見ぬ祖国知りたき唄くちずさむ
民族と出会いそめしはチョーセン人とはやされし春六歳なりき
一人の生活者としての在日朝鮮人女性が、短歌との出会いを通していかにして自らの正体性(アイデンティティ)を獲得していったか。差別と排除が平然とまかり通る日本社会にあって、それは言葉の力を武器にした「日常の闘い」でもあった。
「日本」に生まれたがゆえに知る悲しみとは何か。
「在日」の生を、心をうたい、故・近藤芳美氏が絶賛した幻の第一歌集にエッセイを増補した決定版(2003年刊)を、多くのリクエストに応え再刊(2012年)。後記として「詩集季の窪より――『鳳仙花のうた』とともに」を増補した新装・普及版。
〈著者略歴〉
李 正子(イ・チョンジャ)
1947年、三重県伊賀市(旧上野市)に生まれる。
1965年、三重県立上野高等学校卒業。
中学校時代に短歌と出会い、二十歳頃から作歌を始める。
在日韓国人歌人として初めて作品が日本の中学・高校の教科書に採用されるなど、高い注目を集めてきた。
2005年、韓日友情四十周年記念国際フォーラム(於・京都国際会館)で韓国時調詩人、日本短歌歌人との競演に出演。
短歌結社「未来」所属。短歌会「風」主宰。Tanka college「マダン」通信講座主宰。伊賀市、津市に短歌講座を置く。
[著書]
歌集『鳳仙花のうた』(雁書館、1984年、絶版)
歌集『ナグネタリョン――永遠の恋人』(河出書房新社、1991年)
『ふりむけば日本』(河出書房新社、1994年。雁書館刊の第一歌集『鳳仙花のうた』を織り込んだエッセイ集)
歌集『葉桜』(河出書房新社、1997年)
『鳳仙花のうた』(影書房、2003年。『ふりむけば日本』を底本とした増補版)
歌集『マッパラムの丘』(作品社、2004年)
『在日文学全集 17』(共著・勉誠出版、2006年)
歌集『沙果、林檎そして』(影書房、2010年)
『鳳仙花のうた』新装・普及版(影書房、2012年)
(本書刊行時点)
書 評
◆「東京新聞」 2003年4月20日
人肌の温もり伝わる在日二世の情と理
評者=野村 進(ノンフィクションライター)
たとえば、こういう歌。
「日本の男はみな卑怯者弱虫と日本のおとこのみ愛して知りぬ」
たとえば、こういう文章。
「トラジ白桔梗の開花を、とりわけ楽しみにしているのは父で、花の重みで長く伸びた茎が地を向きながら雨に濡れているのを、傘もささずに眺めていたりする。」
私は、朝鮮人であることをひた隠しにして生きたプロレスラーの力道山が、同胞の愛弟子につぶやいた唯一の朝鮮語が「トラジ」だったという逸話を、はからずも思い出す。
この歌と文章の底に流れているのは、日本の中で異邦人として暮らしてきた著者の深い思いである。それが短歌ではほとばしるように現われ、エッセイでは静かな湖面のごとき姿を見せる。
植民地時代の朝鮮半島から日本に渡ってきた両親を持つ著者は、三重県の上野で育ち、いまもかの地で喫茶店を営みながら、歌を詠み、文をしたためている。その折々の短歌とエッセイを一冊にまとめたのが本書なのだが、過去の著作がそのまま収められ、まるで本の中に本があるかのような不思議な結構になっている。歌と文章が交互に織り込まれた本書を、私は朝鮮の織物に譬えようとしたのだけれど、脳裏にひらめいたのは、むしろ沖縄の芭蕉布のたたずまいであった。
さて、このところ朝鮮半島や在日コリアンは、いわば“用語”としてのみ語られているきらいがある。それらは「拉致問題」だったり「核開発」だったり「脱北者」だったりするのだが、人肌の温もりがまるで伝わってこないのは、メディアの送り手が所詮ひとごととみなしているからにほかならない。
そんな荒々しい時勢だからこそ、在日二世の“情”と“理”が息遣いとともに伝わってくる本書が貴重なのだ。“情”は一見はげしく思えても、本質は白磁や青磁にも似た繊細さである。冒頭の歌で「男」と「おとこ」を意を尽くして使いわけているように。
◆「民族時報」 2003年6月1日
心の泉に咲く睡蓮の花
「はじめてのチョゴリ姿にいまだ見ぬ祖国しりたき唄くちずさむ」
これは著者が20歳のころ、「朝日歌壇」に初めて投稿して入選した作品である。その作者の欄には、「香山正子」と記されていたという。
この三十一文字(みそひともじ)は、本書にいくども現われる。この歌は、歌人・李正子の心の泉に咲き続ける睡蓮の花なのだろう。歌人は、長い彷徨や苦悩の末に、いつもこの花を見つめる。そして花近くに小石を投げ入れる。はじめ米粒のようだった小石は少しずつ大きくなり、広がる波紋も大きくなる。それが歌人の心の泉を、広く深くしてきたように思える。
秀歌と散文で構成された本書は、「香山正子」が李正子になり、そして女性として、歌人として成熟し、さらに自由な人になりゆく道行きを、つまりせい絶なほどの学びの過程を息苦しいほど克明に記録している。
懐かしい風景の意味を知ること。そのときの悲しみやささやかな喜び。なぜほほ笑んだのだろう。どうしてうつむいてしまったのだろう。「アブジ」(父さん)の口ずさむ唄、オモニ(母さん)のあでやかなチョゴリ。「鮮人」とさげすまれ、砂を食まされたあの屈辱。
聞き、見て、感じ、涙を流したのに、本当には知らなかった深い意味。歌をつむぎ出すなかで、ひとつひとつ明らかになってきた。しかも痛みをともなって。
「訣別のいまだならざる身に潜めきみに問うごと民族を詠む」
こうして獲得された〈在日〉朝鮮人という存在に根ざした批評精神は、大きく広がる。「世界は帝国主義と戦争を体験し、甚大な犠牲を払ってそれが犯罪であることを知ったはずだ。いかなる時代も絶対という時代はなく、いかなる国も正義のみで構築運営できる国はない。しかし、それは正義を放棄するという意味ではない。犯罪は決して繰り返されてはならないし、対処されなければならない。史実は水に流せない(……)」。この一節は、日本に向けられたものだが、アメリカ帝国による〈イラク戦後、朝鮮戦前〉のいまに、重く響く。
「北朝鮮のゆがみに映る日本の近現代史問うこともなし」
もうひとつ魅力がある。文章からにおいがただよい、色が浮き立ってくるのである。しなやかな言葉が、日々の暮らしでこわばる感性をほぐし、わだかまる思いを、ふっと息をはきだすように、心とからだから引き離してくれる。
在日朝鮮人の李正子が詠む短歌、それを在日文学、日本文学、○○文学とくくりつける必要はない。文字は文学なのだ。〈文字は人の心の自由のためにある〉のだから。
(英)
◆「朝日新聞」 2003年5月15日
日本と朝鮮さまよう旅 在日2世の思いを歌に
北朝鮮のゆがみに映る日本の近現代史問うこともなし
疑惑が事件に変わる報道を雨が打つ唇はただ無念に耐える
北朝鮮の拉致問題や核開発をめぐり、あふれる報道が、日本人の「朝鮮嫌い」の感情をあおり立てる、と怒る。
「今の困った報道の流れを変えることはできないんですか。テロも犯罪だが、戦争も植民地支配も犯罪。なぜ北朝鮮がこうなったか考えてほしい」
在日韓国人2世の胸のうちを31文字にぶつけ、民族や祖国を詠い、差別を告発してきた。過去の歌集をもとに、最近の歌や文章を加え『鳳仙花のうた』を出版した。絶版の歌集の再再刊で、「まだ読んでくれる人がいると思うとうれしい」。
三重県上野市で喫茶店を営む。カウンターには、韓国語の辞書やハングル講座のテキストが雑然と載る。テーブルの一角に、愛用の中古パソコンが陣取る。「もっと本業の店に力を入れなければ」と語るが、歌集の編集でパソコンの前に座る時間は長くなる。
20歳の頃から朝日歌壇に投稿を続け、才能を開花させた。
はじめてのチョゴリ姿に未だ見ぬ祖国知りたき唄くちずさむ
「若い頃の未熟な歌で恥ずかしい」と言うが、みずみずしい感性は、今も輝き続ける。高校の教科書に続き、昨年は中学の国語にも歌が採用された。
〈生まれたらそこがふるさと〉うつくしき語彙にくるしみ閉じゆく絵本
日本と朝鮮。二つのくにをさまよう旅は続く。
(桜井泉)
◆関連書◆
『歌集 彷徨夢幻』 李 正子(イ・チョンジャ) 著
『歌集 沙果、林檎そして』 李 正子(イ・チョンジャ) 著
『鳳仙花のうた』 李 正子(イ・チョンジャ) 著
『歌集 一族の墓』 金 夏日(キム・ハイル) 著
『尹東柱全詩集 空と風と星と詩』 尹 東柱 著/尹 一柱 編/伊吹郷 訳
『生命の詩人・尹東柱――『空と風と星と詩』誕生の秘蹟』 多胡吉郎 著
『#鶴橋安寧―アンチ・ヘイト・クロニクル』 李信恵 著
『日本型ヘイトスピーチとは何か』 梁英聖 著
『ヘイトスピーチはどこまで規制できるか』
LAZAK(在日コリアン弁護士協会) 編、板垣竜太、木村草太 ほか著