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★在日を生きる。ハンセン病とともに
金夏日歌集
一族の墓
2009年6月刊
四六判上製 178頁
定価 2000円+税
ISBN978-4-87714-396-1
●目次
●書評
●関連書
「在日を生きる貧しさ苦しさもみな歌にして書き溜めしもの」
1939年、13歳で日本支配下の朝鮮半島から渡日。2年後にハンセン病を発病。以来、在日朝鮮人として、ハンセン病患者として、あらゆる困難を背負いつつ生き抜いてきた六十余年の歳月。故郷(韓国)や友人たちへの想い、日々の暮らしの情景等を、点字を舌で読む「舌読」で学んだ短歌に結晶させた第五歌集。巻末にエッセイ4篇を収録。年譜も付す。解説=水野昌雄
推薦文:君塚仁彦(東京学芸大学教員)
草津栗生楽泉園の歌人・金夏日。
やわらかで、気負いのない、まっすぐな眼差しが、歴史に対する深い洞察を縦糸に、人と自然に対するやさしさを横糸に、祖国韓国に眠る父母への、不条理な死を迎えざるをえなかった兄への、日々の生活への思いを、つつみ隠すことなく歌に紡ぎだす。
在日朝鮮人として、ハンセン病回復者として、想像を絶する苦しみ、深い悲しみを経験した人。だからこそ、その人が紡ぐ珠玉のような言葉の連鎖は、人としての真のやさしさとは何かを、読む人に、深く、そして穏やかに問いかける。
〈著者略歴〉
金 夏日(キム・ハイル)
1926年(大正15) 韓国慶尚北道の農家に生まれる
1939年(昭和14) さきに朝鮮から日本に渡った父を訪ねて、母と長兄夫婦、次兄らと共に日本にくる。この年から昼間は菓子工場で働き、夜学に通う。
1941年(昭和16) ハンセン病を発病。東京・多磨全生園に入る。
1944年(昭和19) 長兄が日本海軍軍属として取られ、それによる家族の生活苦をたすけるために多磨全生園を一時退園する。
1945年(昭和20) 東京大空襲に遭い、焼け出される。この頃からハンセン病が再燃し、眼を病む。長兄戦死の公報届く。
1946年(昭和21) 病状悪化し、群馬・栗生楽泉園に入る。この年、亡き長兄の妻子、次兄ら帰国する。
1949年(昭和24) 両眼失明するも短歌を学び始め、潮汐会に入会する。キリスト教に入信。母、帰国する。
1950年(昭和25) 東京に残った父と、帰国した母が相前後して死す。
1951年(昭和26) 父の遺骨をひきとり、療園内の骨堂を借りて納める。
1952年(昭和27) 点字を舌読で学び始める。
1955年(昭和30) 朝鮮語点字を通信教育で学ぶ。
1960年(昭和35) 療園内の同胞たちによって朝鮮語学校が開かれ、日本統治下では学びえなかった朝鮮語を学ぶ。
1963年(昭和38) 大腸、胆のうの手術を受ける。
1964年(昭和39) 点字をまちがいなく打ちたいために、手指の整形手術を受ける。
1969年(昭和44) ようやく病菌陰性となり、九州へ旅行する。
1971年(昭和46) 2月、第一歌集『無窮花』(光風社)を出版する。
1973年(昭和48) 3月8日、父の遺骨を抱いて故国に埋葬するために帰国する。
1986年(昭和61) 2月、第二歌集『黄土』(短歌新聞社)を出版する。
1987年(昭和62) 8月、「トラジの詩」編集委員会編『トラジの詩』(皓星社)を出版する(栗生楽泉園韓国人・朝鮮人有志による合同文集)。
1990年(平成2) 随筆集『点字と共に』(皓星社)を出版する。
1991年(平成3) 『点字と共に』が平成三年度群馬県文学賞(随筆部門)を受賞。
1992年(平成4) 社団法人群馬県視覚障害者福祉協会より文化賞受賞。
1993年(平成5) 第三歌集『やよひ』(短歌新聞社)を出版する。
2003年(平成15) 『点字と共に』に新たに作品10篇を加え、増補改訂版として皓星社より出版する。
8月、第四歌集『機を織る音』(皓星社)を出版する。
2006年(平成18) 勉性出版の『〈在日〉文学全集』第17巻(詩歌集T)に歌集『無窮花』が収録される。
(本書刊行時点)
書 評
◆『朝鮮新報』(2009.9.2)より
http://chosonsinbo.com/jp/2009/09/syougai_090902/
〈生涯現役〉金夏日さん/元ハンセン病患者、盲目の歌人
祖国統一こそ幸せの源/第5歌集「一族の墓」刊行
元ハンセン病患者で盲目の歌人、金夏日さん(82)が第5歌集「一族の墓」を刊行した。
「在日を生きる貧しさ苦しさもみな歌にして書き溜めしもの」
「わが兄が戦死せし場所は遥かなるウルップ島沖と今にして知る」
「戦死せし兄は遺族の知らぬ間に靖国神社に祀られていき」
植民地時代の1939年13歳の時に、父を訪ねて渡日。菓子工場で働きながら夜学で学んでいる最中、15歳でハンセン病を発病、多磨全生園に入所。日本海軍軍属として徴用された長兄の戦死。46年、群馬県草津の栗生楽泉園に入るが、49年、23歳で両眼を失明。以降点字を舌で読む「舌読」を学び短歌を創る。ハングル点字も「舌読」によって学び、身に着けた。
在日朝鮮人として、元ハンセン病患者として過酷な運命に翻弄された80余年の半生がこの一冊に詠み込まれている。
8月の終わり、栗生楽泉園に金さんを訪ねると、「遠いところからよく訪ねてくれたね」と何度もねぎらって、同胞としての親しみを表してくれた。
瑞々しい感性
作品には瑞々しい感性で、真っ正直な思いを詠っているものが多い。中でも異彩を放つのは、03年、群馬朝鮮初中級学校の生徒たちが訪ねてくれたときの喜びを詠った「いきがい」と題する作品8首である。
「在日の朝鮮学校生徒教師四十二名の訪問を受く」
「車椅子に押されて急ぎ会場に入りて行けば拍手おこれり」
「日常のわが生活をありのまま皆に伝えんとマイクに向かう」
「届きたる生徒らが書きし感想文何度も繰り返し読みてもらいぬ」
金さんは、何よりも朝鮮学校の子どもたちの前で講演をしたことがとてもうれしかったと振り返った。その後、学校から子どもたちの感想文が寄せられた。拉致報道後、通学途中で、「朝鮮に帰れ」などの罵声を浴びせられたり、チョゴリの引き裂き事件に遭ったりした体験なども綴られていたという。
金さんは約70年前、夜学に通っていた頃のことを思い出したという。金さんのオモニは、兄嫁たちがチョゴリを脱いで洋服を身につけても「洋服や和服はなじまない」といつもチマ・チョゴリで通した。その頃、チョゴリ姿のオモニと手をつないで市場に行ったことがあった。
すると、「朝鮮人、朝鮮人子ども」と遊んでいた悪童たちが大きな声ではやしたて、石つぶてが飛んできた。幸い、先生風の紳士が「石を投げたらあぶないじゃないか」と一喝、悪童たちは一目散に逃げていったという。
それ以来オモニに市場に誘われても、「石を投げられるから嫌だ」と言って、拒み続けた。
すると、オモニは「朝鮮人だもん、朝鮮人って言われたっていいじゃないか」と、金さんをにらみつけたという。「あのときのオモニの悲しそうな顔はいまでもはっきり覚えている」と金さん。
オモニは文盲であったが、チマ・チョゴリへの限りない愛着を持っていたと、懐かしく思い返す。戦争中、軍の命令でモンペをはくように言われたが、仕方なく防災訓練などのときは、チマの上にモンペをはいたという。療養中の金さんを訪ねるときも白いチマ・チョゴリを身にまとい続け、帰郷するまでそれを通した気丈な母だった。
「母は私たちを愛したように、深く祖国を誇り、愛し続けた人だった。私が生まれた時には、祖国を奪われ、病にもなり、あらゆる絶望感を味わった。しかし、朝鮮学校の子どもたちには、植民地時代の私たちとは違って、立派な祖国があり、祖国の未来と自分の夢が重なる。それがどんなに希望を抱かせてくれることか。祖国統一の夢もそこに広がっている。本当に朝鮮学校の子どもたちがうらやましい」
「舌読」で得た喜び
金さんのどの歌にも、民族や祖国の統一に寄せる希望が満ちている。
「南北の鉄道つながれし瞬間に多くの拍手と歓声上がる」
「南北つながりたりし鉄道走るは何時のこと」
病に苦しみ、視力は失っても、常に祖国統一への強い願いを胸に刻んで生きた遥かな歳月。それは「舌読」を修得する血のにじむ努力によって支えられた。「普通なら点字を覚え、社会の動きを把握するのだが、点字を読み取る指に麻痺が起きていて、点字を読むことができない」という大きなハンデを克服しなければならなかった。
金さんは点字用紙に五十音を打ってもらい、舌先で点字を探り読む練習をはじめた。25歳のときだった。薄い点字用紙では唾液ですぐべとべとに濡れてしまい、穴が開いてしまうので、点字用紙よりも厚い古い絵葉書に五十音を打ってもらって練習を続けた。舌先に傷がつき血が出たが、それでも諦めなかった。わずか2カ月でマスターし、ついに「舌読」による初めての歌を詠んだ。
旺盛な学びへの意欲と情熱。ここから新しい世界はどんどん広がっていった。宗教、朝鮮史、東洋史、世界史などの歴史、古今東西の文学などあらゆるジャンルの本を取り寄せ、読破していった。
ハングル点字習得
金さんにとって点字に触れることは、「生きていくために毎日食事するのと同じ糧を得る」ことなのだ。そして、それから4年後、またも猛勉強によってハングル点字もマスター。その後は「春香伝」などの古典文学や民話、歴史を母国語で愛読している。
「古くから他国の侵略を受けながら、民衆の力によって祖国を守り通した民族の力強さ。人々の悲しみや苦しみの上に花開いた豊かな文化の奥深さを知るには、朝鮮語によって書かれた書物を読まねばと思った」とキッパリ語る。
解放後多くの同胞が帰郷したが、ハンセン病の息子を見守るために、東京に残り仕送りを続けた両親。しかし、50年、息子を案じながら父は日本で、母は帰郷し相次いで病死した。
民族と家族が舐めた辛酸を再び繰り返さないためには、祖国の統一を一日も早く成し遂げる道しかないと語る。最近の北南関係の歩み寄りを示す一連のニュースは、金さんの日常を喜びで包んでいる。
「同じ民族だから、仲良く、手を結びあうのが一番うれしい。元気なうちに統一する日が来ればいいな」と破顔一笑した。
(朴日粉)
◆関連書◆
『歌集 彷徨夢幻』 李 正子(イ・チョンジャ) 著
『歌集 沙果、林檎そして』 李 正子(イ・チョンジャ) 著
『鳳仙花のうた』 李 正子(イ・チョンジャ) 著
『尹東柱全詩集 空と風と星と詩』 尹 東柱 著/尹 一柱 編/伊吹郷 訳 【品切】
『生命の詩人・尹東柱――『空と風と星と詩』誕生の秘蹟』 多胡吉郎 著
『#鶴橋安寧―アンチ・ヘイト・クロニクル』 李信恵 著
『日本型ヘイトスピーチとは何か』 梁英聖 著
『ヘイトスピーチはどこまで規制できるか』
LAZAK(在日コリアン弁護士協会) 編、板垣竜太、木村草太 ほか著