影書房

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イラクの劣化ウラン弾から、旅は始まった。

鎌仲ひとみ著 + 対談:土本典昭
ヒバクシャ
――ドキュメンタリー映画の現場から
品切

2006年3月刊
四六判並製234頁
定価 2200円+税
ISBN978-4-87714-347-3



●目次
●書評
●関連書



ラク(劣化ウラン弾)とアメリカ(核施設・再処理工場)、そして日本(広島・長崎の原爆)のそれぞれの“ヒバクシャ”を取材して、彼ら・彼女らの苦しみを静かな映像に映し込み、内部被曝の普遍的脅威を追ったドキュメンタリー映画 『ヒバクシャ―世界の終わりに』。本作で内外の高い評価を受けた監督が、最新作『六ヶ所村ラプソディー』へといたるまでの道のりを綴った映画制作ドキュメント。『水俣』を追い続けた巨匠・土本典昭監督との対談、オルタナティブ・メディア論、映画『ヒバクシャ』完全シナリオ等を付す。


〈著者略歴〉
鎌仲ひとみ
(かまなか・ひとみ)

映像作家。
早稲田大学卒業後、日本での助監督経験を経て、1990年からカナダ国立映画製作所で学ぶ。その後ニューヨークで活動。95年から日本を活動拠点とし、医療、環境問題などのドキュメンタリー番組を多数手がける。2003年から東京工科大学メディア学部で教鞭をとりつつ、映像作家として活動を続けている。

代表作:
『戦禍にみまわれた子供たち―湾岸戦争8年後のイラク」(1999年、NHK情報ネットワーク・グループ現代製作)
『エンデの遺言―根源からお金を問う』(1999年、NHKエンタープライズ21・グループ現代製作)
『がんを生き抜く―希望を支える医療の記録』(2001年、NHK情報ネットワーク・グループ現代製作)
映画 『ヒバクシャ―世界の終わりに』(2003年、グループ現代製作)
映画 『六ヶ所村ラプソディー』(2006年、グループ現代製作) ほか

著書:
『ヒバクシャ―ドキュメンタリー映画の現場から』(影書房)
『いまに問う ヒバクシャと戦後補償』(共著・凱風社)
『内部被曝の脅威』(肥田舜太郎との共著・ちくま新書)
『ドキュメンタリーの力』(共著・寺子屋新書/子どもの未来社)
『メディア・リテラシーの現在と未来』(共著・世界思想社) ほか

(本書刊行時点)






◆『ヒバクシャ―ドキュメンタリー映画の現場から』 目次◆

はしがき

T 映画『ヒバクシャ』を巡る旅
 1 プロローグ
帰国/阪神大震災に出合う/フィルムへの執着―NFB体験
 2 映画『ヒバクシャ』への道程――テレビメディアの可能性と限界
テレビ番組を作る/イラクへ/白血病病棟の子どもたち/私を忘れないで/劣化ウラン弾/プロパガンダの罠
 3 日本のヒバクシャとの出会い
肥田医師と出会う/「ひばく」して生きるということ/グローバルな存在としての「ヒバクシャ」
 4 イラク再訪
製作体制/ムスタファ父子との出会い/村娘たち/ムスタファ一家/増えつづける小児白血病/汚染された土地を耕す
 5 イラクからアメリカへ
トム・ベイリー/核の文明/風下の村/アメリカのヒバクシャたちに出会う/アトミック・タウン/内部告発者/トム、最後のインタビュー
 6 長崎のヒバクシャたち、そして新たな問いへ
日本のヒバクシャたち/映画『ヒバクシャ』の終わり、そして新たな作品の始まりへ/科学技術は私たちを幸せにするか?
 7 六ヶ所村へ
異質な他者が照らす日本人の現在/土地の記憶/戦艦大和―再処理工場/選択肢はあるのか/流されない生き方/二〇年後の六ヶ所村
 8 ドキュメント『六ヶ所村ラプソディー』
運動から離れた映画作り/推進派として生きる/抵抗の影/あって当たり前/ブラックボックスを開く仕事
 9 暮らしをみつめる


U 対談 開発と汚染/人間を撮る  土本典昭×鎌仲ひとみ
微量摂取、低線量被曝の問題/イラクでの低線量被曝問題/高度経済成長と「地域開発」の実態/ひとつのテーマを追う意味/ナレーションと字幕の効果/原子力産業のもつ構造的問題/“鏡”としての映像/軽くなる人間の命と尊厳/非人間の記憶/ドキュメンタリー映画の可能性と上映運動/誰に寄り添うか、誰に荷担するか/共同制作というかたちの連帯

V オルタナティブ・メディアをつくる――フリーランス制作者として

W  映画完全シナリオ 『ヒバクシャ――世界の終わりに

X 資料編
 ・マンハッタン計画
 ・ハンフォード核施設
 ・低線量被曝について
 ・放射能兵器・劣化ウラン

あとがき







書 評




● 『社会評論』2006年夏号

                                  
         評者=中村泰子

 「放射性汚染はとどまることを知らない。そしてそれをなさしめているのは私たち自身である」。著者でドキュメンタリー作家、鎌仲さんの問題意識は、科学者が悪い、政治家が悪い、ではなく、問われているのは結局私たち自身なのだ、という点にある。
 本書は、国境を超えて広がる内部被曝の脅威を描いた映画『ヒバクシャ――世界の終わりに』(2003年)から核燃料再処理施設をめぐる問題を扱った新作『六ヶ所村ラプソディー』(2006年)に至る流れを記したものだ。映画制作の過程で鎌仲さんが核問題の核心にどんどん迫っていき、それに伴い取材・撮影がダイナミックに展開する。その過程が大変興味深い。
 また、『水俣シリーズ』や『海盗り――下北半島・浜関根』などドキュメンタリー映画の巨匠、土本典昭監督との対談も収録されている。根本的に共通したテーマを追う二人の作家が、世代の違いを超えて響き合い、率直な気持ちを語り合う。どのようなスタンスで映画を撮らせてもらうのか、社会の構造的問題を映し出す"鏡"としての映像とは、などなど。受け手が映画を通して問題を知ってそれで終わりというのではなく、何か行動を起こすことにつながる作品を作りたいという映像作家の心意気が伝わってくる。
 他に、民衆メディアの可能性と課題を考察するメディア論、『ヒバクシャ』完全シナリオ、関連資料を収載。
 わたしたちは核のもたらす死の円環に組み込まれてしまっている。そこから抜け出すために、一人ひとりが鎌仲さんの問いかけに真摯に向き合わなければならないと思う。



● 『原発廃止めざすニュース』 2006年5月
                                             評者=沢田達夫(フリーライター)

 「現在進行形でイラクで『被曝』して刻一刻と『被曝者』になり、命を落としている子どもたちと、この日本の被爆者は同じなんだ。60年という時間、何千キロという距離を超えて『被ばく』の本質がこの人たちを結んでいる。その本質が私には見えた」「劣化ウラン弾の被害者、核施設からの放射能汚染による被害者、そして原爆の被害者が抱える被爆の本質はまったく同じものだ」
 ドキュメンタリー作家・鎌仲ひとみさんが2003年に制作した『ヒバクシャ――世界の終わりに』は、国内外400箇所以上で上映され、高い評価を得て数々の賞を受賞した。そして今、新作『六ヶ所村ラプソディー』へ向かう鎌仲さんの映画にかけた心情と思い、モチベーション、ドキュメンタリー論をまとめたものだ。(中略)映画を観た人には、より深めるために、未見の人には「ぜひ観て見たい」気持ちを喚起させる上でも多くの人に手にとってもらいたいと切に思う。
 私自身、ドキュメンタリー映画の素晴らしさや可能性を感じたのは、学生時代に『三里塚』と『水俣』にそれぞれ腰を据えた小川紳介や土本典昭の諸作品に触れた時であった。それは、一当事者との関係を築く中で得られたものが、映像のダイナミズムとして観る者に迫ってきたからだ。
 そんなわけで、ここでも特に印象に残ったのが鎌仲さんと土本監督の対談である。鎌仲さんから見れば、土本監督はこの分野の大先輩であり師匠の立場だが両者の対話は、世代を越えてドキュメンタリー作家同士が触発しあうさまがダイレクトに伝わってきてじっくりと読ませる。
 「あなたが映画を作っていくにあたって映画特有の〈鏡〉をもつ必要がありますね。自然主義ではだめですね」(土本)「私の映画に映っている人たちが、『おれたちのやっていることって……』と気がつく、自分で鏡の中の自分を見るように、そして、六ヶ所村と全然関係がないと思っている人たちもそこに自分たちの姿を見てハッとするような、鏡としての映像になればとは思っています」(鎌仲)
 「その鏡はその土から生まれてきたものにしか有効なものはないんじゃないか」「別の見方をすればこういう構図もあるんじゃないかという何ものかを具体的に示すこと、それが何かはあなたが見つけなければなりませんね。僕は水俣なら見つけます。それがないと歴史に残るドキュメンタリーにならないと思います」(土本)
 土本監督の一貫して追ってきたテーマと問題意識に、鎌仲さんの現在が重なりあうことで、ドキュメンタリーの方法論と作家性、心意気というものが切磋琢磨するドキュメンタリー映画の思想が浮かび上がってくる。『水俣』にも『六ヶ所』にも通底するところも、なるほどと痛感する。
 それは映画の世界に止まる話ではなく、市民運動に携わる立場でも想像力が大いに刺激されるに違いない。広く運動圏でも読まれてほしい一冊だ。



● 『中国新聞』2006年4月30日

                           評者=高橋博子
(広島市立大広島平和研究所助手)

 著者はドキュメンタリー映画作家。本書は映画「ヒバクシャ――世界の終わりに」(2003年)と「六ヶ所村ラプソディー」(今年〔06年〕3月公開)の製作にあたってのドキュメントである。
 加えて水俣病をドキュメンタリー映画として描いてきた土本典昭監督との対談、市民の視点に立ち「マスメディアではできないことを実現」するためのメディア論(オルタナティブ・メディアをつくる)、そして映画「ヒバクシャ」の完全シナリオから構成される。
 ヒバクシャをデータ収集の対象として観るか、治療の対象として診るかによって、放射線による被曝と病気との因果関係に対する評価は全く異なってくる。映画「ヒバクシャ」に登場するある科学者のように、ヒバクシャをデータ収集の対象としてしか観なかった場合は、データをふりかざしつつ因果関係を立証できなければ影響はないとし、わからないことに対して傲慢である。
 一方、同じ映画に登場する肥田舜太郎医師のように一人一人のヒバクシャの具体的な症状を診て治療してきた科学者は、因果関係を立証するのは難しいがそれだけ放射線の影響は未知なるもの、と考える。わからないことに対して謙虚で真摯である。
 著者はヒバクシャをめぐる、この対照的な科学のあり方を描く二つのドキュメンタリーを製作した。本書を通して理解できるのは、その過程での著者の「わからないことに対して謙虚」な姿勢である。著者は最初にイラクを取材した時、イラクの病院で子どもたちが苦しんでいるのは、経済封鎖のせいだと考えていた。ところが原因はそれだけではなく、劣化ウラン弾の影響であることを理解してゆく。
 その後も、肥田医師、アメリカのヒバクシャ、長崎の被爆者、そして六ヶ所村を取材する過程で、被曝の深刻さ、とりわけ今まで軽視されがちであった食物を通した内部被曝の問題の深刻さを知ってゆく。一人一人のヒバクシャの身に起こっていることを著者が理解してゆく過程が描かれているところに、本書の魅力がある。わからないことに対して謙虚であろうとする読者に本書を推薦したい。



● 『出版ニュース』2006年5月上旬号

 「人類が築き上げた科学テクノロジーが人類自身の未来を扼殺しているパラドックスの現場に私は立っている」 著者は、ドキュメンタリー映画作家で、『ヒバクシャ――世界の終わりに』(2003年)で国内外に高い評価を受け、最新作『六ヶ所ラプソディー』が完成したばかり。『ヒバクシャ』(本書に完全シナリオを掲載)は、イラク(劣化ウラン弾の被害)、アメリカ(核施設からの放射能被害)、日本(ヒロシマ・ナガサキ)の「ヒバクシャ」を追いながら過去−現在を貫く放射能の脅威を浮き彫りに。『六ヶ所〜』は核然サイクル施設が集中する六ヶ所村の人々を追う。本書では制作ドキュメントと、イラクからアメリカ、日本へと『ヒバクシャ』をめぐる旅の記録、映画作家・土本典昭との対談など、対象を求めて世界と出会い、人々を記録する作家の視点と問題意識がダイレクトに伝わってくる。ドキュメンタリー映画論としても示唆に富む。






◆関連書◆

 『六ヶ所村ラプソディー――ドキュメンタリー現在進行形』 鎌仲ひとみ 著

 『脱原発で住みたいまちをつくる宣言 首長篇』 井戸川克隆、村上達也、桜井勝延 他著

 『広島の消えた日――被爆軍医の証言』 肥田舜太郎 著

 『六ヶ所村 ふるさとを吹く風』 菊川慶子 著

 『市民電力会社をつくろう!――自然エネルギーで地域の自立と再生を』 小坂正則 著

『暗闇の思想を/明神の小さな海岸にて』 松下竜一 著

 『隠して核武装する日本』 槌田敦・藤田祐幸他 著、核開発に反対する会 編

 『時代と記憶――メディア・朝鮮・ヒロシマ』 平岡 敬 著

 『無援の海峡――ヒロシマの声、被爆朝鮮人声』 平岡 敬 著