★今こそ 「暗闇の思想」 を! より深く、より強く、よりやさしく、脱原発へ
松下竜一著
暗闇の思想を/
明神の小さな海岸にて
2012年9月刊
四六判並製 413頁
定価 2400円+税
ISBN978-4-87714-427-2 C0095
●目次
●書評
「冗談でなくいいたいのだが、『停電の日』をもうけてもいい。」 「まず、電力がとめどなく必要なのだという現代神話から打ち破らねばならぬ。」――火力発電所反対闘争を克明に描きつつ、「誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬ」と戦後日本のあり様そのものを痛打した松下竜一の代表的ルポルタージュ、『暗闇の思想を―火電阻止運動の論理』('74)および続編『明神の小さな海岸にて』('75)の二著を一冊にまとめ、3・11後のいま、再提起する。
1970年代、九州の静かな町に突然降りかかった火力発電所建設計画。「高度経済成長」の時代、国や電力会社の「開発至上主義」「電力中心主義」に真っ向から挑んだのは、組織も名もない、心やさしき“しろうと”たちだった――著者自身が中心者として関わった反火電市民運動を記録した異色にして心揺さぶるルポ。孤立の底で紡ぎ出され、四十年の時を超えてなお輝きを放つ「暗闇の思想」とは何か。
〈著者略歴〉松下竜一
(まつした・りゅういち 1937〜2004)
1937年、大分県中津市生まれ。高校卒業後、家業の豆腐屋を継ぐ。
1968年、短歌と散文で綴った歌文集『豆腐屋の四季』を自費出版。翌年、講談社から刊行、ベストセラーに。
1970年、豆腐屋を廃業、作家生活に転じる。
1972年、豊前火力発電所建設反対運動へ。1973年、運動の機関誌として「草の根通信」を創刊。以後、執筆活動と並走してさまざまな市民運動に取り組む。
1982年、『ルイズ―父に貰いし名は』で講談社ノンフィクション賞受賞。
1998〜2002年、著作集 『 松下竜一 その仕事』全30巻が河出書房新社より刊行。著書多数。
近著に、『暗闇に耐える思想 松下竜一講演録』(花乱社、2012年)、『松下竜一未刊行著作集』全5巻(海鳥社、2008〜2009年)。
2004年、中津市にて死去。67歳。
(本書刊行時点)
書 評
● 「図書新聞」 2012.11.03
電力文明に立ち向かった異議申し立ての行動記録――時空間を超えて生き続ける「暗闇の思想」の原点
評者=米田綱路(図書新聞編集)
3・11原発震災をへて、あらためて松下竜一の豊前火力発電所建設反対運動の記録を読み直すと、そこに宿る「暗闇の思想」が不滅の光明をいや増すのを感じずにはいられない。初版から40年近くをへたいま、この思想を実践的に問うた反対運動の記録二編が新たに合本として刊行されることは意味深く、大きな意義がある。大量の電力消費によってなりたつ現代社会、そのような電力消費を必要とするに至った現代文明を根本的に転換させる思想の生成過程が、これらの記録に刻まれているからである。
暗闇の思想とは電力文化を拒否できる、現行の文明の転換を迫る思想のことだ。「誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬ」と松下は書いた。一九七〇年代前半、地元の大分・中津で火力発電所の建設反対運動に取り組み始めた松下らは、発電所建設がそんなに嫌なら電気を止めてやるぞと建設推進側から言われた。3・11以後、電気を使っているくせに原子力に反対するのなら、電気を使うなといった反論や脅しめいた物言いは今日もよく聞かれるが、わかりました、じゃあ止めてもらいましょうと松下は言い切った。私たちにそう言い切れる思想はあるか。
暗闇の思想には、暗闇を凝視することで電力文明の構造を明るみに出す力がある。暗闇に潜むことは思惟を根源的な方向へと鎮めていく、と松下は述べる。それは経済発展や開発推進のイデオロギーから身を引き離し、足元へと下りていくこと、まさしく脚下照顧である。自分の生活と暮らしの中から、便利・快適・都市化・スピード等々といった電力文明や開発推進イデオロギーのスローガンの奥に広がる、人間の真の暗部を照らすことだ。
電力の明るさを断って暗闇に沈潜し、「冷えびえとするまで思惟」してみよう――松下はそれを「暗闇に耐える思想」と呼んだ。それは「虚飾なく厳しく、きわめて人間自立的なものでなければならぬという予感がしている」とも述べている。
本書は松下たちの現実の行動の記録だった。豆腐屋を廃業し、ペン一本で生きることを決めた彼には、書くことと行動することを両立させうるのかという問いがのしかかった。火力発電所反対運動はその懸案を消し去った。彼自身書いているとおり、松下はこの運動をとおして作家になったのである。『豆腐屋の四季』は彼のデビュー作だが、のちに私たちが知る『砦に拠る』や『狼煙を見よ』『怒りていう、逃亡には非ず』の作家の原点は、書くことと行動することが融合した本書にあったのである。
松下の作品を比類ないものにしたのは、彼の言葉を借りれば「しろうと」性にある。社会運動家でもなければ、政治運動のいろはを知っていたわけでもない。玄人を自任する革新政党や組織からは、しろうとだと見下され、排除された。だが、そもそも、1970年代の反公害・反開発の住民運動の担い手たちは共通してしろうとだったではないかと松下は問うた。晴天の霹靂のように地元が開発や公害に曝され、なじんできた生活環境を破壊されることを座視できない住民たちが生存の原点から声を上げ、動き始めたのが住民運動の発端だった。しろうと以外の何者でもない人たちが、しろうとゆえに、専門化・官僚化した産業社会や電力文明に立ち向かうことのできた異議申し立てだった。
その根源性ゆえに暗闇の思想はラディカルな、いのちの思惟を含んでいる。原発震災以後、放射性物質汚染にまず敏感に反応したのは、子どもをもつ母親たちだった。原子力ムラの専門家と称する大学教授や科学者たちが安全を宣伝し、過剰な反応は「放射能恐怖症」だ、笑っていれば放射能は怖くない等々と言いつのっても、しろうとの住民はいのちの次元で反応し、専門家たちの嘘を嗅ぎわけ、暮らしの知恵で身を守ろうとしている。本書を読むとき、暗闇の思想が現代の私たちの課題をも貫くテーマ性をもっていることがわかる。
松下は環境権を掲げて火力発電所建設反対運動をたたかったが、行政や電力会社のいう法律的、数字的、科学的な環境概念と、松下の環境理念との乖離にこそ、文明的問題の本質が浮上する。環境権とは生きとし生けるものを包み込む広大な生命圏を守ることであり、なつかしくいとおしいその場所を大切にすることだ。「法や行政が〈環境〉をどのように解釈しようと、私たちにとっての〈環境〉はこれ以外ではない」という松下の言葉は、原発震災以後を生きる私たちのそれでもある。
時空間を超えて生き続ける暗闇の思想のルポルタージュがいま、一人でも多くの読者に届いてほしいと切に願う。
● 『ふぇみん』 2012.12.5
http://www.jca.apc.org/femin/book/20121205.html#c
暗闇の思想。原始の世界を想起させる言葉だが、著者は発電所のこれ以上の新増設を停止し、今ある電力で成り立つような文化生活を考えようという主張だとする。 すべての原発が停止する中で、電力会社の強いた節電(=不便さ)キャンペーンを前にして、予想外に多くの人びとが街なかに広がる暗がりを受け入れた。多少不便であっても、原発はいらないと。
各地で巨大開発が進められた70年代、大分県在住だった著者も地域のあり方をまるごと変えてしまう開発に反対する住民運動に取り組むことになる。開発至上主義と電力需要という大義名分に抗する「住民の論理」を模索しながら続けられた火力発電所反対運動を、弱さや失敗を含めて綴った遺著が1冊となった。本書が問い続けたものは、時代状況が異なるとはいえ私たちが直面している問題である。
再び煌々と照らされるようになった街なかに響く「強い日本」を求める声を問い返し続けるために。(ち)
● 『東京新聞』『中日新聞』 2012.11.18
1972年、著者は故郷の海を破壊する周防灘開発計画の実態を追及して火力発電建設反対運動を展開し、国家と電力会社の欺瞞を暴く。開発計画は経済成長のために不可欠、火力発電は安全で公害はない、電力は絶対に必要という住民説明会の記録を目にすると、今日の原発行政、経済優先・人間無視の政治の根幹と重なってくる。運動を持続させる強靭な思想を伝える書だ。
● 『民族時報』 2012.11.01
深くつよいはげましの書
評者=黄英治(作家)
3・11東日本核大震災後に、どうして四十年前に始まった豊前(ぶぜん)火力発電所建設阻止―開発反対、環境権確立のための闘いの記録、それも孤立のなかで敗北させられた運動の苦衷の報告が、読まれなければならないのか? この問いに私は、「暗闇の思想」が、〈3・11後〉を、よろけながらも人間らしく生きようと願うわたしたちの杖となってくれるからだ、と答えよう。
松下氏らの「暗闇の思想」は、頭からひねりだされたものではない。運動と連結した暮らしの思想だ。火力発電所も核発電所も、「電力は絶対必要」を大前提とする。それで文化生活を支えているのだからと公害、核汚染を立地地域の人びとに押しつけ、免罪しようとする。これに対して、だれかを犠牲にしてしか成り立たぬ文化生活そのものを問う。「いったい、物をそげえに造っちから、どげえすんのか」という、虚妄の光に照らされたライフスタイルの転換を迫る。いまある電力――それさえ過剰なのだから、それを減らしながら、自然と世界の人びとが調和していく文化を創造しようというラディカルな思想だ。
この思想にもとづく長く厳しい道は、孤立のなかでの、深い内省の運動であり、闘いだったことが、この記録をよりいっそう〈3・11後〉に輝かせる。
電力会社と政府・官僚、警察、裁判所などの国家権力が、住民を買収し、差別して分断し、不屈に闘う者らに「過激派」のレッテルを貼って孤立させ、ひねりつぶす構図は、四十年前といまも寸分たがわない。それがまかり通ろうとする危うさが、この〈3・11後〉にもある。
松下氏らは闘いの渦中で、とまどい、ひるみ、ときに誤りながら、相互批判を通して非妥協的抵抗を貫く。運動内部と周辺の人びとをくっきり浮かびあがらせる練達のドキュメントが、闘うとはどういうことかを示す。
「電力需要」にこだわり「うっかりと支配者的思考におちいってはいないか」「危機の正体は、今しきりに危機をいい立てている者たちにとっての危機だ」「支配者にとっての危機を、あたかも被支配者である私たち民衆の危機の如く受けとめて、支配者的思考に迎合していく短絡はどうして生まれるのか」
『明神の小さな海岸にて』ではさらに孤立(させていく権力の包囲)のなかでの運動の、とりわけ内部における苦しさと、それを克服していく痛ましいほどの記録が届けられている。豊前火力発電所建設のための埋め立て阻止行動で、同志の梶原得三郎氏と支援に駆けつけたふたりが逮捕された。検察は拘留延長、接見禁止など持てる武器をふるって、運動を押しつぶそうとする。梶原氏の妻・和嘉子さんと松下氏は、運動とそのやりかたをめぐって、果てしなく苦しい問答を続ける。
「あんたほんとに豊前火力を止めきるち信じちょるんで、正直に答えちょくれ」「止めきるち信じちょるかじゃないんだよ。止めたいち思うちょるんかどうかちゅう問いかたをせないかんのだ。(中略)止めたいと思うちょる(後略)」
〈3・11後〉を迷い生きる私たちに、深く強いはげましが訪れることだろう。