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沖縄はどこへ行こうとしているのか

平敷兼七 写真・文/平敷兼七写真集刊行委員会 編
平敷兼七写真集
山羊の肺
沖縄 一九六八-二〇〇五年【復刻版】



2018年5月30日発売
(初版発行2007年4月)
B5判変形 上製 196頁(写真総数168点)
定価 4200円+税
ISBN978-4-87714-478-4 C0072

ブックデザイン:追川恵子


●目次
●書評
●関連リンク
●関連書
●編集部より



書『山羊の肺』(初版2007年)で写真界に衝撃を与え、2008年ニコンサロンで開催された写真展「平敷兼七展 山羊の肺 沖縄 1968-2005年」で伊奈信男賞を受賞、翌年突然に世を去った写真家・平敷兼七氏。
2016年にはNHK日曜美術館の放送によって再び大きく脚光を浴び、反響を呼んだ。その作家性と作品とは、いまも若い写真家らに影響を与えてつづけている。
本写真集は、日本「復帰」前からの沖縄の島々の祭祀や風俗、米軍基地の周辺で体を売る女性たち、破壊された平和の像など、失われた風景、変わらない現実、日々を懸命に生きる人々の姿を、四十年にわたり記録した〝幻〟の写真集の待望の「復刻版」。写真を通して、変わらない沖縄、変わらない人間がみえてくる。

【本書 2ページより】
「基地の中に沖縄はあるとよく言われているが、私は沖縄の中に基地があると思いたい。人が住んでいる約四十七の島でなりたっている沖縄を「復帰」前後の時期から撮影したのがこれらの写真である。この写真集を通して、沖縄の歴史とは、沖縄とは、沖縄人とは何かを感じてもらえればと思っている。」




〈著者〉
平敷兼七 (へしき・けんしち)


(2006年撮影)
1948年 沖縄県今帰仁(なきじん)村上運天に生まれる
1967年 沖縄工業高校デザイン科卒業
1969年 東京写真大学工学部中退
      『週刊ポスト』にて「祖国復帰を拒否する女達」を発表
      個展「オキナワ・南灯寮」(沖縄タイムスホール)
1970年 『カメラ毎日』(3月号)にて「故郷の沖縄」を発表
1972年 東京綜合写真専門学校卒業
1979年 『美尻毛原の神々』(山城見信著)写真担当(宮城彦士とともに)
1985年 嘉納辰彦・石川真生らと同人写真誌『美風』創刊
1987年 合同写真展「美風」(那覇市民ギャラリー)
1991年 写真集『金城美智子・光と影の世界』刊行
1992年 「写真で考える沖縄の戦後史展」出品(パレットくもじ/那覇市ほか)
      写真集『沖縄を救った女性達』(私家版)   
      写真集『沖縄の祭り―宮古の狩俣島尻の夏プーズ』(私家版)
      写真集『沖縄戦で死んでいった人達のための「俑」』(私家版)
1996年 写真集『島武己』(自費出版)
2002年 写真展「琉球烈像—写真で見るオキナワ」出品(那覇市民ギャラリー)
2006年 写真展「金武から来た女性」(新宿アガジベベー/Gallery銀座芸術研究所)
2007年 写真集『山羊の肺』(影書房)刊行
2008年 ニコンサロンで開催の「平敷兼七展 山羊の肺 沖縄 1968-2005年」(写真集『山羊の肺』掲載作品を中心に構成された写真展)によって、第33回伊奈信男賞受賞
2009年 肺炎によって永眠
2015年 浦添市に家族ら有志によって「平敷兼七ギャラリー」開設
2016年 NHK日曜美術館「沖縄 見つめて愛して 写真家・平敷兼七」の放送(6月)
      『父ちゃんは写真家―平敷兼七遺作集』(未來社)刊行





◆『山羊の肺 沖縄 一九六八-二〇〇五年【復刻版】』 目次◆

・(無題)
・渚の人々
・「職業婦人」たち
・俑

   *
撮影メモ
編集のことば
謝辞
平敷兼七略歴
〈復刻版によせて〉




中ページ見本
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書 評






⦿初版(2007年刊)の書評より


◆『琉球新報』2007年5月20日

 「底辺の生」強さと弱さ活写

  評者:大城和喜(南風原文化センター館長)

 山羊は沖縄の生き写しだ。気性はきまじめでおとなしく優しいのだが、最後にはその絶妙な味ゆえに殺され食べられてしまう。タイトルの「山羊の肺」は、沖縄の歴史と文化の象徴のようだ。

 平敷謙七は、定番の政治闘争や基地ではなく、名も無き人々、人生をマンガタミーして底辺で生きる「職業婦人」「障害者」「アル中・麻薬中毒者」「シマ・ムラの人々」等を、愛情と連帯感を持って活写している。

 写真のタイトルが面白い。「脳は宇宙をかけめぐる」「いつも酒を飲んでいる人」「空き缶を拾いそれを売って家を作った人」「部落に帰って来た人を最初に迎えてくれる人」「好きな男が女の所から出てくるのを朝までまっている女性」。

 こんなのもある。「双子を生み一人は家族にとられ、もう一人をとられまいとして逃げ廻っている女性」。さらに「ゴルフ場の近くに三角小屋をつくって住み、夜になると池におちたボールをひろい、また池のカエルを食べに来るハブをとらえて売り生計をたてている」。優しい平敷の人格がにじみ出て愉快だ。

 社会の矛盾をマンガタミーした名も無き人々は、ハチマキも締めず拳も振り上げず愚痴も文句も言わない。ただただ黙して目の前の蝿を払うだけ。そこに底辺に生きる強さも弱さもある。そういう人々こそ「山羊の肺」であり「沖縄の内臓」なのだ。平敷はそう言いたいに違いない。

 「下からは上がよく見える」。これは戦前小学校の「小使い」を長年勤めたある古老が僕に語った言葉である。身分が上である先生や校長は下にいる人(小使い)を見ようとしない。しかし、何人もの校長に仕えた私からは、校長がどんな人格であるか手に取るようにわかる、というのだ。

 同じように、底辺の人々を見れば、その時代がよく見える。当たり前だが、平敷は時代を撮ったのである。

 「私は小さい時から、今もそうですが、恥ずかしがり屋で、一人で空想しながらのおしゃべりだった。おまけにひどいどもりで……」と平敷は自分を評する。この写真集は、平敷自身の大胆な自首である、と思えてならない。

 〔※マンガタミー:人の不幸をみんな自分で背負うこと(編集部)〕




◆「トラック時報」2007.5.15号(東京都トラック協会発行)

  http://ishigurokenji.com/report/report_044.html

 写真集『山羊の肺 沖縄1968ー2005』が語る
              5・15 沖縄復帰35周年


 評者:石黒健治(写真家)


 職業柄、筆者のところには、いろいろな雑誌、本、写真集が届く。連休の間に届いた写真集を広げてみていると、休みボケの脳味噌に強い刺激が来るのを感じた。19センチ四方の写真集としてはやや小振りの、モノクロの写真。被写体は決して美しいとは言えない風景や男たち、女たちだが、見ているうちに、その被写体から、逆にこちらが見られているような気がしてくるのである。「これは放っておけない」と、思った。

 作者の平敷兼七さんについて、沖縄在住の写真家ということは知っていたが、名前だけで面識もなく、その仕事も詳しくは知らないでいた。不勉強を恥じるしかない。案内文を読むと、平敷さんは1948年沖縄今帰仁村上運天(なきじんそんかみうんてん)生まれ、沖縄工業高校デザイン科、東京写真大学などで学び、「沖縄の〈日本復帰〉と前後して作品を発表し始め、米軍占領下から現在までの沖縄の戦後を、沖縄で生活するひとりの人間として撮り続けてきた」という。さらに読み進めると、「同時代を共に生き、被写体となった人々は、静かに見るものを見返します」と書いてあるではないか。

 これを書いたのは誰だろう。ちらしのアドレスを頼りに、平敷兼七写真集刊行委員会・代表の中條朝(はじめ)氏に電話をしてみた。

 待ち合わせのファミレスに現れたのは、まだ若い学生だった。1983年東京生まれ、24才。東京経済大学休学中だという。3年の時に休学して1年間ほど、主に日本がかって侵略した東アジアを中心に世界を旅して歩いた。その後、NHKの番組製作の手伝いで沖縄へ行ったとき、現地側の案内兼運転手のおじさんと知り合う。「自分と同じ雑用係だったが、面白い人だと思った」。しばらくして、「おまえ、うちへ飲みにこないか」と誘われて、米軍基地キャンプキンザーの向いにある仕事場兼自宅へ行き、「ネガフイルムや酒瓶、埃をかぶった本などが所狭しと並び、部屋の隅には手作りの暗室」を見て、初めて「写真を撮る人だと分かった」。

 このとき中條くんが見たのは、写真集「沖縄を救った女性達」(1996年自費出版)。平敷さんが、基地周辺の売春宿に通って撮り続けた労作である。このとき中條くんは、被写体の女性達が静かに見返してくるビジュアル・ショックを受けたのだ。そして「平敷さんの集大成の写真集を作りたい」と思った。

 現代の若者はやる気がないとか、偉くなりたくないとか批判されているが、偉いと言うことはどういうことか。いまの若者こそ、やるときゃなかなかやるんである。

 2年後、「山羊の肺」が完成した。このタイトルの意味はどこにも説明がないが、本文38ページにそのカットがある。沖縄の人にとって山羊は大切な生き物である。山羊の乳で泡盛を割ると特に美味しいそうである。

 この5月15日に、沖縄は復帰35周年を迎える。今年は終戦から61年、憲法制定より60周年目で、改訂を巡ってかまびすしいが、沖縄は35周年である。この25年の差の重さを思う。




◆『読売新聞』2007年5月27日


 沖縄は今月、本土復帰35年を迎えた。本土の側ではあまり話題にならなかったかもしれないけれど。平敷謙七さんが写真を始めたのはその少し前だ。以降、撮り続けた人々や島の姿が一冊にまとめられた。副題は「沖縄 1968-2005年」。なかでも復帰を挟む時期のカットが多い。

 切れ味鋭い撮り口ではない。モノクロの画面は鈍い痛みのように、割り切れなさをにじませる。「沖縄のおばぁさんみたいな気がする」という通り、島に暮らす人々への共感が根底にある。だが現実は容易ではない。夜に生きざるを得ない女性たちがいる。開発で墓が移動させられる。割り切れなさは沖縄の人々の、そして写真家自身の抱える感情なのかもしれない。

 今は一つの県だが、同じ時期、ほかの地域をとらえた写真集があるとして、こうした重さを伝えてくるものかどうか――復帰翌日、離島の風景を見ながら、改めて考えさせられる。(前)





◆『信濃毎日新聞』2007年6月10日

 基地のなかに沖縄がある――とよく言われるが、著者は「沖縄の中に基地があると思いたい」という。今も戦争の後遺症が影を落とす沖縄は1972年に本土復帰を実現するが、本書はその前後に撮影したものを中心に写真集としてまとめたものだ。

 写真はすべてモノクロで約180枚。「渚の人々」「『職業婦人』たち」「俑」などのジャンルに分けて掲載している。そこに映し出されているものは失われた風景と、いつまでも過ぎ去らない過去、変わらない現実……。

 本書は、国民の生活がいかに沖縄の人々の犠牲のうえに成り立ってきたかを実感させる。著者は巻頭で「この写真集を通して、沖縄の歴史とは、沖縄とは、沖縄人とは何かを感じてもらえれば」と書いている。




◆『東京新聞』2007年6月17日

 さんご礁の海とリゾートの白い砂浜だけが沖縄の姿ではない。この半世紀余、かの地に生き、その歴史を体現してきた人々はもっと別の風景も見てきたはずだ。激戦地となった戦争の爪痕、アメリカの占領時代の経験と記憶、今も生き生きと続く不思議な共同体の祭り、性を売る女性たちの生活、敗戦後の多くの人々が体験した貧しさ……。その独特な風土に生きた老若男女の様子や、瞬間の表情が、歴史のネガの風景をとらえる目で見つめられた写真集だ。




◆「週刊金曜日」 2007.08.03(665号) きんようぶんか インタビュー

 戦後の復帰も本土復帰も無縁だった人々
                                          
――沖縄の日常を40年近く淡々と記録してきた写真家が、作品を『山羊の肺 1968-2005年』として上梓した。(取材・本文=吉田敬三)

 物心ついたときはアメリカ統治下だった。沖縄は復興の真っ最中で、まだ戦没者の遺骨が埋葬されないであちらこちらに集められていたのを鮮明に覚えている。子どもにとって米軍キャンプから父親がもらってきてくれたキャンデーやチョコレートは最高のおやつだった。

 高校で出会った写真に興味を持ち、カメラを購入して港の漁師や畑を耕す農民を撮り始めた。その時はまだ明確なテーマもなく一番撮らせてもらいやすい老人が被写体になった。当時の沖縄はベトナム反戦デモや復帰運動などが連日のニュースになっていたが、彼らはただ日々の営みを続ける寡黙な人たちだった。文明や文化は時代と共に変わるけれども、人間は昔から変わることなく生きてきたんだという思いを強く感じた。

 写真を専門的に勉強するため上京し、沖縄出身者の学生寮「南灯寮」で他の学生と一緒に山羊を一頭買ってきてみんなで食べた思い出がある。沖縄では山羊を解体できて初めて一人前。子どもの頃、親を見ながら屠蓄の仕方を自然に覚えた。身近に命と向き合う貴重な体験だった。

 時代は学生紛争の最中だったが、昼は建設現場でバイトをしながら夜は写真学校に通ってドキュメンタリー写真を学んだ。そのうち学校の授業にはほとんど出席しなくなり、学生寮で知り合った友人を頼って沖縄の離島を巡る旅に出た。島が違えば地形や風景はもちろん、言葉や文化が異なり、そこで出会った人々を通してウチナンチューとは何か、人間とは何かという生涯関わるテーマが見えてきた。

 写真家になった時、沖縄は本土復帰で沸き立っていた。マスコミも大きく取り上げたが、そこには生活者への視点はなかった。私が特に興味をひかれたのは家族のため、生活のために職業婦人となった女性たち。米軍基地があるところには必ず売春宿があったが、復帰後は沖縄の恥部として意識的に忘れ去られようとしていた。

 撮影は決して無理強いをしない。カメラを持たずにしばらく通って関係性をつくることから始める。そして心が通じたと思えた時に写真を撮らせてもらう。撮影した写真は必ず渡すことにしている。喜ばれることもあれば、不満そうな表情を見せるときもある。ああ、気に入らなかったのかなと、それはカメラマンとしてとても勉強になった。同情とか正義感からシャッターを切っているのではない。沖縄のあるがままの姿に共感して写しているのだ。そこは人間としての魅力に溢れているから。

 最近、教科書検定で沖縄の集団自決から軍関与の記述が削除された。政府は補助金交付を条件に自分たちの都合の良い歴史を作ろうとしている。辺野古(へのこ)では米軍基地拡張工事の調査に海上自衛隊まで出動した。戦争を経験した先輩たちは「自衛隊は軍隊であり、最後は必ず力に訴えてくる」と言っていたがその通りになった。時を経て日本の管理強化とともに、沖縄固有の伝統や文化が失われていくことが気がかりだ。現在、辛うじて村に残るウタキ(注1)やユタ(注2)の撮影を続けている。

 琉球から沖縄、アメリカと日本、いつも時代に翻弄されてきた沖縄だが、時代が変わっても変わらない沖縄の人々や自然の姿を見てほしい。
 
(注1)=御嶽、村落の守護神を祭る聖地。
(注2)=先祖供養、死者儀礼など祭祀を司る沖縄の巫女。





◆「社会評論」2007年秋号

 誠心誠意の心根が描き出す歴史の本質

  評者:樋口健二(フォト・ジャーナリスト)

 六二年前、沖縄は米軍と地上戦をまじえ砲弾、銃弾が雨霰れと降りそそいだ。その様子を現地紙は「鉄の暴風」と表現した程の悲惨な状況を生んだ。沖縄の人々は日本本土の盾となり二〇万人とも言われる人々の犠牲を強いられた。そればかりか、沖縄を守るべき日本兵は、敗戦の現実を伝えた現地の青年達を米軍の手先と決めつけ、スパイ扱いして、軍刀や銃剣で殺害するという非人間性をさらけ出しもした。また、米軍が上陸すれば皆殺しにあうなどと虚言を呈し、集団自決に追い込むという残酷さも生み出した。こうした証言を行く先々で聞いた私は、想像を絶する戦争のむなしさ、無意味さを肌で感じたものである。八三年前後、三回にわたり沖縄本島はじめ久米島、座間味島、伊江島で胸の締めつけられる証言を聞いて歩いたことを思い出す。

 久米島の「天皇の軍隊に虐殺された久米島住民、久米島在朝鮮人」と刻まれた痛恨之碑があり、当時、鹿山正隊長による七家族二〇人の集団虐殺は、残虐性をこれ程あらわにしたものはなかった。その時、出会った女性から、「ヤマトンチュウは帰れ!!」と痛烈な言葉をあびせられた。それでも紹介者を通しての取材だったので、やがて、ポツリ、ポツリと語ってくれた内容は「私の妹(当時二〇歳)は、亭主が日本軍の鹿山隊長によってスパイ容疑で虐殺され、そのショックで自殺した」と涙ながら話してくれた。罵声の意味をいやという程、知らされたものだ。当時、日本本土の人間に対し不信をつのらせざるを得ない理由があった。これは私の取材体験である。

 なぜ前文にこのような体験談を書いたかと言えば、本書『山羊の肺』には当時の残虐性や惨劇がほとんど見当たらない、しかし、写真集を開いてもらえれば明白なように、作者は沖縄戦の実相をすべて、飲み込んだ上で、編集しているからである。沖縄の復帰前後から四〇年の歳月をかけてのフォトルポルタージュである。

 第一章では沖縄の風土と人々の生活感を淡々と描き出す。子供も青年も女性も老人もどのような境遇に置かれても逞しく生きる姿が清々しく写し出されている。時には過去の悲劇の現場に立ち、犠牲となった人々への祈りを込めて写し出す。

 第二章の「渚の人々」の項をめくると、ニッコリと笑えむ老婆の姿がこちらに語りかけてくる。この写真は特に作者に心を許し、手放しでカメラを見つめている。それは作者のおばあさん(祖父の姉さん)だからである。“小さい時から作者を育て高校の時までしわしわのおっぱいをつかませ、寒い時、外出から帰宅するとつめたい足を股にはさみあたためてくれた”おばあさんだからであろう。なんとも心温まる一枚である。今日の日本列島にこのような思いやりや、やさしさに満ちた人間がどれ程いようか。この項には様々の表情をした人物達が描き出され見ごたえがあり微笑ましい。

 さて、この写真集のクライマックスはやはり、第三章となる「職業婦人」たちの項ではないだろうか。タイトルをあえて古めかしいものにしているが、実にアクチュアリティー(現代性)とリアリティー(現実性)に富んでいて見事という他はない。戦争の本質を浮き彫りにしていて胸にしみる。

 苦界に身を沈めねばならなかった女性たちを真正面から描き出すのは恐らく並大抵ではなかったはずである。作者の時間と労力をおしまぬ真摯な態度が、彼女たちに受け入れられて行ったのであろう。単なる興味本位では表現出来得ないからである。それにしてもカメラの前で堂々と裸体を晒し、笑顔をのぞかせる女性たちの何とたくましい表情であることか。それだけに一層の悲しみをさそうのである。同郷の女性たちへの暖かく、やさしさにみちたヒューマンなカメラアイが彼女たちの心を開かせたのは言うまでもなかろう。

 作者の誠心誠意の心根が歴史の本質を描き出してやまない。

 敗戦による米兵の性奴隷は、悲しくも現代まで延々と続いて来た。そればかりでなく、日本兵による暴行事件も大事件の陰に隠れてしまっていた。さらに薩摩藩時代の奴属下で税に苦しめられて一家を支えるために身を売らねばならなかった女性たちの慟哭も聞こえて来るようだ。いつの時代にせよ、弱者が時代に翻弄されるのも、また必然的と言わねばならないだろう。なかでも女性たちが犠牲を強いられる理不尽さは哀れである。

 それだけに、この項は時代の本質を描き出し、圧巻である。

 ラストの項は「俑」と名が打たれている。

 粘土で固めた物体(造形物)を沖縄盲学校の子どもたちが創り、人の訪れない戦場跡に置いて来たものである。その造形物は苦痛にゆがんだ顔もあれば、笑いをさそう表情もある。また、怒りに震える顔面もある。

 この粘土の顔面を至るところで映像化して見せるのも過去と現在の姿を描く要素ではないだろうか。私が冒頭にほんのわずかに述べた惨劇の歴史を形を変えて静かに訴えているように感じてならない。的はずれだと指摘を受けるかも知れない。

 この写真集もまた実に地味ではあるが、沖縄の歴史をしっかりと刻み込んでいる。

 多くの人に写真を読んでほしい。じっくりと見つめればその時代背景が、じわじわと語りかけてくる。





◆「琉球新報」2008.5.12

 平敷兼七写真展「山羊の肺」開催に寄せて
  疎外された人への愛情 飾らない「写真ヌジャー」


    大城和喜(南風原文化センター館長)


 「山羊の肺」。
 意味不明な人を悩ますタイトルだ。
 山羊は分かるが、なぜ、肺なのか。
 しかし、不可解な分、なぜかしら奥ゆかしく、何かありそうで人を惹き付ける。
 タイトルの「山羊」は、沖縄の庶民の暮らしを連想させる。
 平敷兼七は、名もない貧しい人々の暮らしを、愛情というか親近感というか連帯感を持って見つめる。
障害者、アル中、薬物患者、職業婦人、半端者等、いずれも家族や社会から排除された人々に愛情の目を注いでいる。
 「脳は宇宙をかけめぐる」は、薬物患者であり、「まわりの人の心を豊かにする少年」は、おそらく知的障害であり、「昼間から酒を飲む人」はアル中であり、「私にジュースをおごってくれた女性」も普通ではない。
 さらに、「籠を作り部落の者から金をもらい生計をたてている男」「双子を産み一人は家族にとられ、もう一人をとられまいと逃げ回っている女性」「部落に帰ってきた人を最初に迎えてくれる人」もまた、家族や社会から排除され、疎外された人々である。
 それらのタイトルは、彼ら彼女たちへの平敷の愛情と親近感をよく表していて愉快だ。
 シャレてない。
 哀れんでいない。
 気取ってもいない。
 自然のままの表情が実にいい。
 だから、余りも不足もない。
 愚直な山羊のようだ。
 平敷の飾らない優しい人格がここにある。
 それにしても、排除され疎外された人々の、何とも優しいまなざしでなないか。
 何とも屈託のない笑顔ではないか。
 何とも素直で美しい人々ではないか。
 彼らこそ、一切の常識やしがらみから開放された自由人ではないのか。
 山羊の肺とは、自らの運命を受け入れ、しなやかに強く生き抜く彼らの事ではないか。
 平敷は、そう問いかけ、彼らを排除した僕たちを逆照射する。
 写真を「ヌジュン」という。
 ヌジュンとは、魂を抜き取ることだ。
 平敷兼七は、社会の周縁で強く生きる、内臓たちの喜怒哀楽に寄り添う、山羊のような優しき「写真ヌジャー」なのだ。
 写真展の盛会を期待したい。
  *  *  *
平敷兼七写真展「山羊の肺 沖縄1968年ー2005年」は東京銀座ニコンサロンで5月14日から同27日まで。
開館時間は午前10時ー午後7時。
大阪ニコンサロンで6月12日から同25日まで開催する。
開館時間は午前11時ー午後7時





◆目取真俊さんブログ「海鳴りの島から」より

 平敷兼七写真集『山羊の肺』


 10月3日に亡くなった平敷兼七氏の写真集である。あらためてページを繰ってみれば、平敷氏がカメラによって創造した独自の世界が広がっている。特に素晴らしいのが「渚の人々」を中心とした人物写真だ。78ページの「私にジュースをおごってくれた女性〈コザ中之町二〇〇五〉」はドストエフスキーの小説から抜け出てきたようであり、82ページの「美尻毛原(ビジュウルモウバル)の卒業生(沖縄で最初の養護学校の卒業生)〈佐敷一九八〇〉」の醸し出す凄みや95ページの「鰹のさばき名人〈与那国一九七〇〉」の肉体や横顔の陰影、102ページ「町を掃除している老人〈浦添一九八八〉」の笑顔など、一人ひとりの存在感が際だち、生きてきた歴史が浮かび上がるようだ。

 101ページの「部落の人たちが足のきれいなおばあさんだと言っている〈今帰仁上運天一九七一〉」は、平敷氏の生地での写真だが、売店のあまはじ(軒下)の腰かけに座っている老女の毅然とした表情と「きれいな足」の肉感、着ている着物、駄菓子の下がった売店の様子など、日常のありふれた場面に老女の気品を伝え、日本復帰前のヤンバル、シマンチュを撮った写真として傑作だと思う。後ろに置いた麦わら帽子をかぶり、牛乳瓶や紙袋を抱いて日差しの中を歩いていく老女の後ろ姿までが目に浮かぶし、そこからいくつものストーリーが喚起される。

 『「職業婦人」たち』は被写体となった女性たちの信頼を得なければ撮ることのできない写真が数多くある。平敷氏にそれが可能だったのは、女性たちの存在を丸ごと肯定し、慈しむことによって、写真を撮るという行為が持つ暴力性をやわらげることができたからだろう。そこには一つの職業を生きた女性たちの生活が写し出されている。124ページと125ページの構成は、暗闇に浮かぶ女性のお尻を路上に座った子どもたちが見て笑っているようだが、子どもたちの笑顔は後ろ姿の女性が背負っていたものであり、女性を支えていたものでもあったろう。

 一枚一枚の写真について書いていくと切りがないのでこれくらいにするが、まだ手にしたことのない人にぜひ一度は見てほしい写真集として紹介したい。





◆◆ 関連リンク ◆◆

*本書や平敷兼七さんに関連するサイトへのリンクを張らせていただきました。
 リンク先の皆様へ感謝申し上げます。

●平敷兼七ギャラリー
(ホームページ) http://heshikiken7.ti-da.net/
(フェイスブック) https://www.facebook.com//kenshichiheshikigallery/
(ツイッター) https://twitter.com/n_heshiki

●ニコンHPより:第33回伊奈信男賞/内容・授賞理由ほか:http://www.nikon-image.com/activity/exhibition/salon/awards/ina/winners/archives/33.html
〈40年もの時間を計画的に、この日のために捧げてきた訳ではないだろう。毎日を生きたから、写真を続けたから、結果的にこうなっている。だが「山羊の肺」は、決して「結果」には見えず、むしろ「いま」として体験される。〉

●平敷さんと一青窈さんとの対談(「ダ・ヴィンチ」2007年9・10月号)
一青窈ジャーナルより:

(前編)https://blog.goo.ne.jp/hitotojournal/e/009464e68d095f7290784117d10858a6
〈“平敷さんの写真はそこに「生きる」という力を提示されたというか、あの頃「職業婦人」とされた女性たちも確かにプライドを持って力強く生きてたんだってことを見せてくれた。すごい頼もしい写真だなと思って”〉
(後編)https://blog.goo.ne.jp/hitotojournal/e/1c91433b1dd4f6c443e0cc6448341d61
〈“沖縄に住んでいる友人は私と同世代なんですけど、戦争に対する意識も高いし、今日はそういう話をうかがうつもりでいました。でもそういう現実よりももっと忘れちゃいけない、人間として普遍的なものが沖縄にあるんだと”〉

●【訃報】2009年10月5日(四国新聞より):平敷兼七氏死去/写真家 
http://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20091005000354

●琉球新報 金口木舌2009年12月25日より:
〈人間を弱者か強者かに分けて評価することは、自分の中に壁をつくることになる。平敷さんは社会的立場など関係なく人間そのものを見ていた。だから平敷さんには警戒心を解くのだと、今にして思う。〉


●平敷兼七(へしき・けんしち)の世界より:平敷兼七さんを悼む(大城和喜氏)
http://hesiki.ti-da.net/e2821764.html
〈平敷兼七は、誰も見ようとしない沖縄を見た。基地や政治闘争より、目立たない貧しい人々を撮った。復帰の日は、伊平屋島にいた。中心の那覇ではなく、周縁の小さな離島から激動の歴史の瞬間を見つめた。〉

●平敷兼七(へしき・けんしち)の世界より:平敷兼七氏を悼む 弱者への共感満ちる写真(勇崎哲史氏)
http://hesiki.ti-da.net/e2824995.html
〈彼の感性から導かれる眼差しと写真作品には、俗受けを狙ったいやらしさや、はったり、ごまかしは一切ない。せっぱつまった(ドラスティックな)状況を被写体に求めることもない。その姿勢は、被写体から何かを「奪う」のではなく、「受け容れる」心に満ちている。〉

●石川真生氏のブログ(まおの勝手におしゃべり)より:舞い込んだ悲報
http://blog.livedoor.jp/ishikawamao/archives/65282636.html
〈高校生の頃からずっと写真を撮っていて、売春宿の女たちなど誰にも撮れない世界を撮る貴重な存在だった。いい仕事をずっとしてきたのに、なかなか評価されず、それが最近、東京のニコンサロンで開催された写真展、「山羊の肺」で「伊奈信男賞」という大きな賞をもらって、やっと脚光を浴びたばかりだったのに・・・〉

●NHKのHPより:(2016年6月19日NHK Eテレ「日曜美術館」放送「沖縄 見つめて愛して 写真家・平敷兼七」の番組紹介)
https://bh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=706-20160619-35-26713

●CINRA.NETより:(NHK日曜美術館の番組紹介)「沖縄を見つめた写真家・平敷兼七の特集番組、石川竜一が足跡を辿る」
https://www.cinra.net/news/20160612-heshikikenshichi

●日美旅 でかけよう 「日曜美術館」その舞台をめぐる:2016年6月19日/旅の紹介 第11回 沖縄へ 平敷兼七を感じる旅
http://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/247190.html
〈知られざる写真家・平敷兼七(へしきけんしち)が残した、膨大な数の沖縄の写真。その中心に居たのは常に「人」でした。今回は平敷兼七ゆかりの沖縄の場所を訪ね、平敷さんをよく知る親しい人々と語らいます。...〉

●Sightsongさんの「自縄自縛日記」より:「日曜美術館」の平敷兼七特集
https://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/b04c6b3312bbbae895f070df98f392b5
〈亡くなる直前には、かれは、日記に「人生の結論は身近にあり」と記していた。また、かつて、「かわいそうだという気持では絶対にシャッターは切れない。撮れたと思ったらそれは嘘だ」とも書いていた。番組に登場する石川真生氏は、この「同じ目線でないといけない」という哲学を、平敷兼七は若いときに学んだのだろうと発言している。〉

●Sightsongさんの「自縄自縛日記」より:平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
https://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/7a958242534a64292a592d26738974cf
〈「伊那信男賞」の受賞理由として、写真というものが持たざるを得ない「過去」や「記憶」への視線が、この写真家については、積み重ねの集大成などによってではなく、あくまで過去も現在も厚く提示するいまのあり方においてこそ感じられるのだ、といったことが述べられていた。/この過去の厚みが凄い。売春婦たちの生活を捉えた作品群は、本人に断った上でなければ撮らないという前提を含めて見ると、そのナマの力に圧倒される。〉

●「チャンスはピンチだ。」より:日曜美術館「沖縄 見つめて愛して 写真家・平敷兼七」
http://bit.ly/2vWnAH7
「(大城和喜氏が)写真展によせたことばの中には、女性たちの存在を丸ごと肯定し、慈しむことによって、写真を撮るという行為が持つ暴力性を昇華させた平敷の仕事への敬意がにじみます。」

●MADE IN WONDER より:山羊の肺 -沖縄1968〜2005-
https://made-in-wonder.com/item_detail.php?item_id=1277
〈60年代後半と言えば、日米政府の共同声明、及び沖縄返還・本土復帰をめぐり島内で’沖縄闘争’が勃発、多くの写真家が当地を訪れてはその実情を写真を通して発表していた時期。そんな最中で闘争の主流には目を向けず、「島」で生きる人々を追い続け、内的なまなざしをもって沖縄を捉え続けた写真家です。〉

●「クリントンのひとりごと」より:山羊の肺
http://blog.livedoor.jp/clinton1957/archives/51221073.html
〈写真はすべてモノクロです。そこに映し出されているものは失われた風景と、いつまでも過ぎ去らない過去、そして時代が変わってもかわらない沖縄の人々や自然の姿を見ることができます。〉

●「どうしたんだ日記」より:平敷兼七写真集『山羊の肺』
http://kamiitaboy.blog.jp/archives/1058568266.html
〈吃音に苛まれた末に出会ったカメラを他者と繋がるための(命の)手段としてきた今は亡き平敷さんの写真集をじっくり眺めてください。できれば薄暗い部屋で。被写体となった人々の、そして写真家自身の、声が聴こえてきます。〉

●「artscapeレビュー」より:平敷兼七「沖縄、愛しき人よ、時よ」―飯沢耕太郎
http://artscape.jp/report/review/10139907_1735.html
〈あくまでも「身近」な被写体にこだわり続けながら、「感じる」ことを全身全霊で哲学的な省察にまで昇華させようとした写真家の軌跡を、もう一度きちんと辿り直してみたい。〉
(2017年9~10月に東京・写大ギャラリーで開かれた写真展評)

●「ディスディスブログ」より:『日曜美術館』で放送された、沖縄の写真家・平敷兼七の沖縄で生きる人たちの写真が衝撃的でした(2016年06月19日)
http://dysdis.hatenablog.com/entry/2016/06/19/112207
〈平敷さんの写真は、もはや写真ではなくて平敷さんの目になって目の前に沖縄の人たちを見ているような感覚に陥ります。〉







◆編集部より◆

 1948年沖縄・今帰仁(なきじん)村生まれの写真家・平敷兼七氏は、沖縄の「日本復帰」と前後して作品を発表しはじめ、米軍占領下から現在にいたる故郷沖縄の「戦後」を撮りつづけてきました。

 平敷氏の代表的な仕事に、沖縄の「職業婦人」を撮影した『沖縄を救った女性たち』があります(本書に一部収録)。戦後の混乱のさなか、自ら生きていくために、あるいは家族の生活のために「職業婦人」となった女性たち。彼女たちは、沖縄が復興をとげていく過程で次第に社会の「恥部」と見なされるようになり、村や家族からも排除されていったといいます。本書には「復興」と「復帰」の蔭で打ち捨てられたそのような女性たちの姿が写されています。その女性たちの眼差しは、私たちの存在のありかたを静かに問いかけているように感じられます。

 名もなく懸命に同時代を生きぬいてきた人びと――貧困にあえぎながら日々の糧を得る人、住む家の無い人、障がいをもつ人、家族から逃げる人など――に平敷氏のレンズは向かいました。その被写体となった人びとがカメラに向けるまなざしは、写真を見る者をそのまま見返します。

 本書『山羊の肺』は、平敷氏が40年という歳月をかけて撮り溜めた作品群から精選し1冊の写真集にと考える有志が集まり、平敷兼七写真集刊行委員会が立ち上げられ、2007年に刊行に至りました。翌08年には、本写真集収録の作品を中心に構成した写真展「山羊の肺 沖縄 1968-2005年」がニコンプラザ(銀座と大阪)で開催され、写真界の最高峰の一つとされる伊奈信男賞を受賞します。またRBC琉球放送ではその活動を追ったドキュメンタリー番組が放送されるなど、写真家としてこれからの活躍が期待されていました。

 ところが2009年10月、平敷氏は肺炎により突然帰らぬ人となったのです。多くの人たちが呆然とその死を惜しみました。

 平敷氏が亡くなってのちも、東京や沖縄での写真展・回顧展の開催や、NHK「日曜美術館」での放送(2016年6月「沖縄 見つめて愛して 写真家・平敷兼七」)、「遺作集」(『父ちゃんは写真家』未來社)の出版など、故郷「沖縄」を撮りつづけた平敷さんへの関心は衰えることなくつづいています。また2015年には平敷氏の自宅の一部を改装した「平敷兼七ギャラリー」 http://heshikiken7.ti-da.net/ が、ご家族を中心とする有志によってオープンし、作品が常設展示されています。

 そのようななか、長いあいだ品切れとなっていた本写真集をぜひ復刊してほしい、という声がたいへん多く寄せられてきました。その数えきれない声にお応えして、本写真集をこのたび「復刻版」として復刊いたします。収録作品中1点のみ、事情により削除せざるを得ませんでしたが、その他の収録作品については初版からの変更はありません。

 日本敗戦から70年以上が過ぎた今日もいまだ「戦後」の訪れない基地の島・沖縄の、そしてそこに生きる人びとの多様な側面を、本写真集からくみ取っていただければ幸いです。

 「……観光沖縄をめざす沖縄県が一方ではきれいな海を殺している矛盾のおもしろさ。
 基地依存の沖縄県、戦後六十年たっても基地問題は変わっていない沖縄、ほんとにどこへ行こうとしているのか。写真を通して、変わらない沖縄、変わらない人間がみえてくる。」——平敷兼七(季刊『前夜』3号より)









◆関連書◆


 『ぼくたち、ここにいるよ―高江の森の小さないのち』 アキノ隊員 写真・文
【小学中学年以上~大人まで】

 『虹の鳥』 目取真俊 著

 『眼の奥の森』 目取真俊 著

 『目取真俊短篇小説選集1 魚群記』 目取真俊 著

 『目取真俊短篇小説選集2 赤い椰子の葉』 目取真俊 著

 『目取真俊短篇小説選集3 面影と連れて』 目取真俊 著

 『一緒に生きてく地域をつくる。』 生活クラブ連合会「生活と自治」編集委員会 編