戦争という原体験から紡がれるエロスと幻想の世界

中山茅集子
魚の時間



2010年8月刊
四六判上製344頁
定価 2000円+税
ISBN978-4-87714-408-1


●目次
●書評
●関連書





つて、全身に浴びた負け戦の傷も六十五年経った今では褐色のカサブタとなったが、或る日、ふいにカサブタが剥がれ落ちて血をみる。つかの間の老いの華やぎに迷いこむイクサの証しを、これまでも、これからも抱きかかえて書くしかないと思い決めている。(――あとがきより)
 『かくも熱き亡霊たち』、『潮待ちの港まんだら』の著者による自選傑作短篇集。

〈著者略歴〉
中山 茅集子(なかやま・ちずこ)
1926年、北海道札幌市生まれ。
1944年、広島県立府中高女卒業。「上意討ち」(「ヨタのくる村」に改題)で中央公論第17回女流新人賞佳作(1974年)、「蛇の卵」で中央公論第19回女流新人賞受賞(1976年)。
1977〜92年、井上光晴文学伝習所に学ぶ。
1988年、同人雑誌「ふくやま文学」創刊。
前橋文学伝習所発行の同人雑誌「クレーン」会友。福山市在住

[著書]
『かくも熱き亡霊たち―樺太物語』(影書房、1991年)
『潮待ちの港まんだら』(アスコン、2008年)
続・潮待ちの港 まんだら 』(アスコン、2009年)

(本書刊行時点)





◆『魚の時間』目次◆

ヨタのくる村
蛇の卵
草地に、雨を
自動ドア
八月の闇
目には目を
おけいさん
受難
編み上げ靴の女
死者の声
目まい
記憶の中の仏たち
魚の時間
聖域
もう一つのドア
   *
あとがき
初出一覧








書 評




●(当サイト初掲)

 日常の中に垣間見る真実
                                     
皿海達哉(ふくやま文学館館長)

 自称「普通の主婦」だった作者は、45をすぎて小説を書き始めた。爾来40年。これは自分で15篇を選んでまとめた短篇集であるが、読者は冒頭に置かれた『ヨタのくる村』を読みだしてすぐ、その難解さにたじろぐだろう。
 家族が烈しい炎に追いつめられて死に瀕する夢と、倦怠感さえただよう人生半ばにさしかかった主人公の生きている現実とが交錯し、文脈とは無関係に思われる重要なことばが唐突に突きつけられてくる。この場合は「上意討」。主君の命令で誰かを(親密な相手であっても)討ち果たすことを言うが、誰が誰に命じられて、誰をなぜ討つのか。読者が考えるほかない。
 克明に描かれた所と大胆に省略された所のある一枚の地図を与えられ、目的も知らされないまま、これを読めと試されているようなものである。
 しかし、丁寧に読んでいくと、例えば親子孫三代揃った睦まじい家庭など、今では伝説でしかなく、普通に生活してきた家族がこれといった必然性もなく崩壊しかける、そういう現代の家族の危うさと不安がリアルに伝わってくる。「明日は我が身」なのである。
 平凡にしかものっぴきならず続く日常。その中をふと非日常がよぎるとき、意外に深い人生の本質が顕われ、生きることの真実が垣間見えるのである。
 この『ヨタのくる村』は、原題『上意討』で、1974年度〈中央公論女流新人賞〉佳作となり、次作『蛇の卵』が正賞を得た。
 『魚の時間』は、その35年後に書かれた作品である。健康のためプールで歩き、泳ぐということを始めた老女が、同じ「某日」の書き出しで、六つの話を連ねるオムニバス形式になっている。読者によって共感する話は違うだろうが、特に、終戦の玉音放送を聞いた日、15歳の少年を唆して心中しようとし、工場の管制塔に上りながら、自分だけ生きのびた少女が、夕暮れ清冽な川の流れに身を浸して「魚の骨」になることを願うエピソード。そこから現実に戻って、セイウチのような婦人たちの前で若者のように逞しい筋トレのパフォーマンスを見せ、美しいクロールを見せていたサクダさんが、あっけなく死んでしまうエピソード。老女は、倒れたサクダさんに「エロスの残照」も見るが、隣り合うレーンですれ違うときの「羞恥」の表情も見逃してはいない。その後に続くのは、特攻くずれの若者たちが、終戦後、不気味な夜の沼で、奪われた青春を取り戻すかのように虚しく格闘するエピソードである。いずれも「水」を共通項として通俗を撃ちつつ美と詩とエロスを求める姿勢は一貫して変わらない。この作品を短篇集の表題にしたのは正しい。構成も内容も全体の縮図になっているからである。

 以上2作以外にも、ささやかな文学的実験とでも評すべき作品がたくさんある。情景描写もさまざまな事柄の象徴にまで高められている例が随所に確認できる。
 作家は処女作に向かって成熟するという。しかし、この作者の場合、そんな単純なものではない。具象と抽象との間を往き来した特異な画家・中山一郎を夫としていたこともあろう。反骨の作家・井上光晴に師事し、文学伝習所で学んだことも、地元の同人誌『ふくやま文学』で仲間と切磋琢磨したこともあろう。その軌跡は、「普通の主婦」などというものはこの世に一切あり得ず、ことばと対峙しながら視野を広げ思想を深める営みがいかに困難で、挑戦するに値するものであるかを、静かに立証している。





● 「朝日新聞」(広島版)2010年10月8日

 「敗戦の傷刻む」短篇集

 福山市東深津町在住の作家、中山茅集子さん(84)が自選短篇集「魚の時間」を出版した。デビュー作の「ヨタのくる村」から近作まで15の作品には、中山さんの敗戦体験の記憶に加え、日常の中で垣間見たエロス(愛)が刻み込まれている。「意識して戦争を書いてきた。エロスは命です。この年になって、書ける領域が広がる」と中山さん。今後も戦争をテーマに書き続ける意欲を見せる。(甲斐俊作)

 中山さんは札幌生まれ。父親の仕事の都合などで、終戦を府中市で迎えた。画家と結婚し、初めて書いた小説「上意討」(後に「ヨタのくる村」と改題)で1974年に中央公論女流新人賞佳作、続く「蛇の卵」で同新人賞を受賞。91年に発表した長篇「かくも熱き亡霊たち――樺太物語」には、師事した井上光晴が「赤い落日の蔭に横たわる断崖に似た生きざまこそが、『かくも熱き』想像力を生み出した」と推薦文を寄せた。
 現在も草の根の文学運動として文芸同人誌「ふくやま文学」の代表をつとめるほか、自宅で読書会なども開くなど、活動ぶりは今も旺盛だ。
 表題となった「魚の時間」は2008年に「ふくやま文学」で発表。敗戦を告げる玉音放送を聞いた直後、死も覚悟して少年と向かい合った「管制塔」でのシーンがリアルに描かれる。
 「一部は事実です。あのころの記憶は色あせない。8月8日、空襲で壊滅する福山が府中からも見えた。翌日、バタンコと呼ばれた三輪バイクに乗せてもらい、福山に支援に入った。多くの人が亡くなり、まだ馬がプスプス音をたててくすぶっていた」
 最新作の「もう一つのドア」は、15年前に亡くなった夫の入院中に病棟で目撃した男女の行為をもとに、愛が死の淵から連れ戻す力となることを、「あの負け戦で引き裂かれた愛の空白を取り戻す」と表現した。
 中山さんは今回、作品のあとがきにこう記した。
 「かつて、全身に浴びた負け戦の傷も65年経った今では褐色のカサブタとなったが、或る日、ふいにカサブタが剥がれ落ちて血をみる。つかの間の老いの華やぎに迷いこむイクサの証しを、これまでも、これからも抱きかかえて書くしかないと思い決めている」





●「中国新聞」2010年10月13日

 戦争の「甘美な」記憶

 福山市の作家中山茅集子さん(84)が短篇集「魚の時間」を影書房から出版した。身近な風景を素材とした作品の底辺に共通しているのは、かつての戦争の影だ。しかし物語はその悲惨さよりも、甘美な記憶を鮮やかにたぐり寄せており、不思議な魅力を放っている。(伊藤敬子)

 1989年の創刊から主宰している福山唯一の文芸同人誌「ふくやま文学」を中心に、これまで発表してきた作品群から15篇を自ら選んだ。

 生と死の境目
 表題作「魚の時間」は、水にまつわる記憶の海を泳ぐ物語。健康のためプールへ通う女性は、桜貝のようなつめを持つ少女の美しさを凝視し、プールサイドで倒れた元軍人の衰えた肉体に愛しさを覚える。終戦直後の特攻帰りの若者が抱いた葛藤と、長生きした自身の戸惑いを重ねている。
 見知らぬ町で、バスに乗ったまま迷子になった息子の行方を懸命に捜し続ける母親を描く「自動ドア」。抑留体験を持つ画家香月泰男の「シベリア・シリーズ」に着想を得て、バスの行く先に強制収用所の闇を思う。
 自身は府中市の軍需工場で女学生時代を過ごし、19歳で敗戦を迎えた。「異常な体験が日常となるのが戦争。生と死の境目をふわふわ浮き、まるで現実感がなかった」と振り返る。その浮遊感が、今の幻想的な作品世界につながっている。「リンゴ1個をくれた男性が輝いて見え、ロマンが生まれる。青春って、そういうものよ」

 自由と開放感
 東京や福山から疎開した芸術家が集まった戦後の府中は「備後モンパルナス」とも呼ばれ、自由な空気と開放感に包まれていたという。「お国のために死んでもいい」と考えていた軍国少女の価値観は一転させられた。
 21歳で洋画家中山一郎と結婚。夫の療養生活をきっかけに、47歳で書き始めた。師は作家の故井上光晴。彼の文学伝習所で「小説は原体験と想像力から生まれる」とたたき込まれた。
 井上や埴谷雄高、野間宏ら戦後作家を、編集者として支えた影書房の松本昌次社長から「戦争を引きずって書き続ける作家がいなくなった」と励まされ、短篇集の出版を決めた。
 「日常の平和の中に入り込んだ戦争が、ある日突然、カサブタがはがれたように血を噴き出す」と自身の作品を評する。短篇集の出版を通じて、原体験が戦争体験にあることを再認識した。「体と心に戦争を刻んで生きた女にしか書けない世界があるのでしょうね」
 装丁は福山市のデザイナー北島成樹さん。











◆関連書◆

中山茅集子著
かくも熱き亡霊たち―樺太物語
戦後文学エッセイ選13
井上光晴集

影書房編集部編
狼火はいまだあがらず―井上光晴追悼文集