目取真俊の作品世界を独自の視点で読み解く

スーザン・ブーテレイ
目取真俊の世界(オキナワ)
――歴史・記憶・物語


2011年12月刊
四六判上製 253頁
定価 2500円+税
ISBN978-4-87714-419-7 C0095

●目次
●書評
●関連書



縄戦、それに続く米軍支配、基地問題等、米国-日本-沖縄の支配/被支配の構造の中で翻弄される沖縄の人々の生の喘ぎを独自の文体で描き続ける作家・目取真俊の作品世界を、沖縄戦をめぐる語りや記録、記憶の分有・継承、文化、ジェンダー等を基軸に読み解く初の本格評論。


〈著者略歴〉
スーザン・ブーテレイ
(Susan Bouterey)

ニュージーランド生まれ。
ニュージーランド国立カンタベリー大学文化言語学部学部長。
専攻・専門:日本近現代文学、特に女性作家、沖縄文学など。
[主な著編書・論文など]
共編書:Cultural Interactions and Interpretations in a Global Age(カンタベリー大学出版会, 2011年)
主論文:「沖縄社会と文学を考える―『魂込め』を中心に」(『東アジア出版文化研究星月夜』, 磯部彰編, 学術振興会アジアアフリカ学術基盤形勢事業,2010年)、Reclaiming the Past, (Re)constructing the Present:Reading Medoruma Shun's Mabuigumi (Henshall他編, Ethnic Identities and Linguistic Expressions:Languages, Literatures and Cultural Interaction in an Age of Globalization, 人民文学出版社, 2006年)、Journeys into the Underworld:Dream, Illusion and Fantasy in Shono Yoriko's Fiction(Japanese Studies, 21(2)号、2001年)、「笙野頼子『脳内の戦い』―『イセ市ハルチ』から『太陽の巫女』(成城文藝、155号, 1996年)ほか。

(本書刊行時点)






◆『目取真俊の世界―歴史・記憶・物語』 ◆目次

序文
歴史・記憶・物語――目取真俊の作品およびその作品を通して見える世界(オキナワ)

第一章 目取真俊の世界
作家の紹介
主たるテーマ
沖縄戦および沖縄戦をめぐる語りや記録
沖縄戦の集合的記憶
戦争神話の解体――公的記憶から排除され隠された 出来事 の記憶
語り得ない、 表象不可能なものをいかにして表象できるか
  (ア) 非現実的、 幻想的要素
  (イ) 擬似的体験手法
  (ウ) 断片的なイメージや言葉の連鎖による表象

第二章 「水滴」 論

はじめに
物語の展開
戦争神話と徳正の戦争話 
徳正の個別的体験
徳正と兵士達との関係性
癒し、 生き残りの苦悩そして主体性の回復
「きれいな標準語」 の意味と徳正と石嶺との関係性の変化
「靖国思想」 を相対化する視点
「水滴」 の中の暴力の問題と現在の沖縄の問題
植民地/被植民地、 支配/被支配、 差別/被差別
清裕と 「奇跡の水」 が表しているもの
現在の沖縄への批判的な目
「靖国思想」 を揺るがすウシ(じょせい)の視点:徳正の回復におけるウシの役割
  ウシの体験:生を肯定する、 同化されていないウシ
神話から個別個人的体験へ
神話の解体へ

第三章 「風音」 論
頭蓋骨をめぐる様々な異相
沖縄の村人達にとって頭蓋骨の持つ意味
清吉親子にとって頭蓋骨の持つ意味
清吉にとって特攻隊員の存在は如何なるものだったのか
特攻隊員および万年筆への憧憬がいかにして形成されたのか
オイディプス・コンプレックスと植民地主義
記憶から記録への変形
ジャーナリズムによる記憶の忘却と戦争神話の構築
無意識の忘却と甦る記憶
オイディプスの反復から克服へ
最後に――死者との対話
  「忘却の穴」 に吸い込まれた記憶をどう掘り起こすか

第四章 「魂込め(まぶいぐみ)」 論
アーマンとは何か
記憶 の回帰
親および記憶の奪
消え去る魂
共同体における 神女(かみんちゆ)の役割および地位
神女(かみんちゆ)と明治政府および 「琉球処分」
抑圧された身体
ラジオ体操の象徴性
ラジオ体操と 魂(まぶい)落とし の現象およびアーマンの出現

結 論
戦争の捉え方
語り方の特徴
空白を埋め合わせる作業
作品を貫くジェンダーの視点
文化破壊から文化の継承へ・記憶の分有を通しての将来への希望

あとがき
参考文献








書 評



●『図書新聞』 2012.8.11

 目取真俊研究の王道といえる良書

 評者=
友田義行(日本学術振興会特別研究員PD、立教大学)


 沖縄から発信を続ける小説家・評論家の目取真俊。その名を冠した初の研究書である。著者はニュージーランド国立カンタベリー大学文化言語学部の日本近現代文学研究者。焼けつくような痛みを刻む迫真性と、神話的な幻想性をあわせもつ目取真の小説が、平易な文体で丁寧に読み解かれていく。主に取り上げられるのは、初期短篇「平和通りと名付けられた街を歩いて」と、90年代の代表作「水滴」「風音」「魂込め」である。作家の人物と作品の紹介にはじまり、通底する主題を整理したのちに、章ごとにそれぞれの作品を精読していく。中心となるテーマは、沖縄戦の記憶・歴史・物語である。また、戦争表象以外の要素にも目配りし、従来の読みになかった新たな解釈も提示している。本の構成、分析の視点ともに、目取真俊研究の王道といえよう。近年はジャーナリズム活動に専念しているようにも見えるこの作家の“前期”を総括し、展望を示す研究である。

 本書で指摘されるように、目取真が焦点を当てるのは、通俗的に流布している戦争物語に抗う、個別的な戦争体験である。個人の目線から戦争を描くことで、「殉国美談や靖国思想を揺るがし、戦争の本質に迫ろうとする試み」がなされる。たとえば、戦友の飲み水を奪って生き延びた鉄血勤皇隊の逃亡兵や、敵艦に体当たりすることなく自殺した特攻兵を描くことで、天皇のために命を捧げ、勇猛果敢な戦死を遂げたとされる兵士像および類型化した叙述の解体が行なわれるのである。こうした企ては、戦争の集合的記憶から排除されている民間人、特に老幼婦女子と呼ばれる人々の戦争体験を焦点化することや、タブー視され隠蔽されてきた出来事――米兵および日本兵による強姦や、日本軍による沖縄人虐殺、人体実験など――に照明を当てることによって実践される。戦争神話を解体し、忘却・欠落させられている〈出来事〉を呼び覚ますことで、「とてつもない暴力としての戦争を全体像として浮かび上がらせる」ことが、作家の戦略である。

 だが、沖縄線の体験者が次第に亡くなり、戦争を知らない世代の比率が大きくなっていく現在、記憶と語りのあり方は常に問われるべき課題として立ち上がってくる。本書はそうした現状下、目取真が「語りえない表象不可能といわれるような被植民者や他者の世界、想像を絶する暴力的な〈出来事〉等をいかにして表象し分有していくかという実践的な作業として、旧来の文学表現にとらわれることなく沖縄の伝統的な風土、土着の文化にしっかりと根を下ろした新しい文学実践」を取り入れていると指摘し、三つの特徴的な語り方を挙げている。一つめは、読者を小説世界に引き込む「非現実的・幻想的要素の取り組み」。二つ目は、知覚感覚的描写により「読者に疑似的体験をさせる」手法。そして三つ目は「断片的なイメージや言葉の連鎖」によって読者自らストーリーを紡ぎ出させていく方法である。本書で最も多くの紙数が割かれた「風音」論では、三つめの手法に著者自らが応答するかのように、明記されないテクストの空白を見出して、想像力を手がかりにした解釈を試みている。いずれも詳細な作品分析を通して説得的に論じられ、テーマと手法の相関が鮮やかに浮かび上がってくる。

 目取真作品に傾注するあまり、たとえば大城立裕ら他作家との比較考察は大幅に割愛された感がある一方、結論で安部公房への言及があって目を引いた。著者は「非現実的・幻想的要素」に絡めて安部の名を挙げているが、「断片的なイメージや言葉の連鎖」を形成する手法もまたこの作家の得意とするところであった。映画的手法ともいえるこうした言葉のモンタージュは、目取真のシネフィル的側面とも関わるものではないだろうか。バスに揺られる少年の傍らでおばーが息を引き取る「平和通りと名付けられた街を歩いて」の末尾と、映画『真夜中のカーボーイ』のラストは密かに響き合うし、やはり沖縄戦を扱う『レベル5』を始めとした映画についての反応もまた、目取真の重要な仕事として捉える意義があるだろう。目取真文学のアクチュアリティと多面性を示唆してやまない良書である。





●「沖縄オルタナティブメディア」書評 2012.2.18

 評者=
村上陽子(東京大学大学院生)


 本書で取り上げられている目取真俊の「水滴」、「風音」、「魂込め(まぶいぐみ)」は、どれも沖縄戦に深く関わる作品である。沖縄戦というすさまじい暴力にさらされた体験が、身体を媒介として回帰し、現前する。目取真俊の作品を読むとは、その作品世界に生きる者たちの身体感覚に共振し、到来する出来事の内部に投げ込まれることにほかならないのではないかと思われる。

 本書の著者もまた、これらの作品で目取真俊が「個別体験」に焦点化していることを重視している。「個別体験」を読むことを通して読者は戦争体験の聞き手の位置に置かれ、体験の分有へと誘われていく。「戦争の集合的な記憶」から排除されてきた「個別体験」、すなわち言語化できない/されていない体験に光が当てられることで、「戦争の集合的な記憶」に亀裂が生じるプロセスが示されているのは、本書の大きな魅力の一つである。

 ことに興味深いのは、「風音」を取り上げた第三章である。「風音」の主人公清吉は、沖縄戦の最中、父とともに特攻隊員の遺体を風葬場に運ぶ。遺体の傍にあった万年筆に惹かれ、再び風葬場に足を運んだ清吉は、蟹に食い荒らされる遺体を見てしまう。それ以来、清吉は特攻隊員の頭蓋骨が風音を鳴り響かせる村で、死者を汚してしまったという思いに囚われ続けている。「風音」に描かれているのは、頭蓋骨を抜ける風の音、聞き取ることのできなかった呟きなど、言葉としての意味をなさないまま、「音」として聴覚に刻まれた出来事の残滓に囚われる当事者の姿である。著者は「風音」という作品自体が出来事や行為に断定的な意味が付与されることを拒む構造を持っており、それゆえに「常に空白の謎に向かって問い続けるしかない場に読者は立たされる」と指摘する。その上で豊かな解釈を広げていく著者は、常に語りきれない残余を含み込む戦争の記憶を、体験を、非当事者がいかに想像し、分有していくかという可能性にかける一つの試みを実践していると言えるだろう。

 だが、「沖縄人のアイデンティティー」を土着的な文化に求める点、沖縄の文化の担い手としての「女性」像が批判的に検証されていない点には物足りない感覚を覚える。類型的な語りに亀裂を生じさせるスリリングな読みは、戦争のそれに対してだけではなく、文化的・ジェンダー的な語りに対してもなされる余地があるだろう。

 とはいえ、本書が目取真俊の作品世界をより深く味わうための重要な手引きとなることは疑いようがない。ぜひ手にとってもらいたい一冊である。





●『出版ニュース』 2012.2中


 現代沖縄文学を代表する作家・目取真俊の作品世界を紹介しながら、作品を通底するテーマを探り、戦争の捉え方と語り方の特徴を概説。ここではまず、1997年に発表された芥川賞を受賞した代表作『水滴』を取り上げ、テーマや表現方法から登場人物の役割まで、多様な角度から分析。さらに、新たな戦争の記憶の語り方を模索した作品として注目された『風音』や、もう一つの代表作と言われる『魂込め(まぶいぐみ)』をめぐる新解釈を提示する。いずれも、戦争体験者ですら忘れかけている記憶を掘り起こすことを通じて、「琉球処分」以降の、日本と沖縄の関係性を浮き彫りにして、歴史そのものを問う。





●『ふぇみん』 2012.4.15

http://www.jca.apc.org/femin/book/20120415.html



目取真俊の「沖縄」を説く本書は、「明るく楽しい南国の島」沖縄のガイドブックではない。目取真は、歴史という記録に包み隠されている沖縄を小説の中で解き明かしていく。標準語、ラジオ体操、大和人、靖国思想などのエピソードが、読者自身の深い記憶にまで届き、沖縄を感じさせる。その小説の幻想的もしくは現実的な世界の中で視覚、触覚、嗅覚、知覚を刺激され、すっかりむき出しの生身になり、まるで戦地の沖縄に立っているかのように身体が固まっていく。その時、著者がまるで読者の傍らにいて、ひとつひとつの表象を見過ごさないように導き、そこに現れる戦争と今を問う。 著者は読者に疑似体験させる目取真の手法を、「記憶や他者の体験の分有を考える上で大きなヒントを与えてくれる」という。東日本大震災と原発事故から1年過ぎ、私たちはその記憶をどのように残していくのか。それには私たちの想像力が鍵となるのかもしれないと、この本書から感じた。(み)








◆関連書◆

 『目取真俊短篇小説選集1 魚群記』 目取真俊 著

 『目取真俊短篇小説選集2 赤い椰子の葉』 目取真俊 著

 『目取真俊短篇小説選集3 面影と連れて』 目取真俊 著

 『眼の奥の森』 目取真俊 著

 『虹の鳥』 目取真俊 著

 『平和通りと名付けられた街を歩いて 目取真俊初期短篇集』 目取真俊 著 【品切】