戦後文学エッセイ選  書評・関連記事


『戦後文学エッセイ選(全13巻)
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◆図書新聞 2014年5月17日号より




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◆『週刊金曜日』 2006年2月3日号

 喪失したものの重さを確かめるために

  山口 泉(作家・評論家)


 昨年夏、本欄で村上龍『半島を出よ』を取り上げるに際し、この作品に関して、およそ書評ジャーナリズムのどこからも批判が提示されていないという話を聞かされ、改めて”現代日本文学”の構造的な貧しさを思った。

 だがその後、同書に対し、私のほかに少なくとも一人、異議を表明する人物が現れたことを知る。松本昌次氏。1927年生まれ、半世紀を超える歳月、数々の著作を世に送ってきた編集者が、前掲書をいくつかのインタビューで打擲しつづけているのに接したとき、私はある感銘を覚えたものだ。

 その松本氏が自ら、明確な作家選定の原則のもと、挟み込みの栞に至るまで余人を介在させず刊行し始めた、志操ある出版人の熱誠みなぎるシリーズの最新刊が、本書である。

 竹内好(1910-77年)は言わずと知れた中国文学者であり、文藝批評家である。本書は、いずれも第一級の文藝批評であり、同時に精確無比の日本論であり、書かれた当時も、そして今はいよいよ、読む者の批判精神のありかを問い、厳しく鼓舞するエッセイ20余編を、編年体で網羅する。

 「私たちの内部に骨がらみになっている天皇制の重みを、苦痛の実感で取り出すことに、私たちはまだまだマジメでない。ドレイの血を一適、一適しぼり出して、ある朝、気がついてみたら、自分が自由な人間になっていた、というような方向での努力が足りない」(「屈辱の事件」1953年)「日本文学にとって、魯迅は必要だと私は思う。しかしそれは、魯迅さえも不要にするために必要なので、そうでなければ魯迅をよむ意味はない。私がおそれるのは、そのような魯迅を日本文学が権威にしてしまうことである」(「魯迅と日本文学」1948年)

 かつて「戦後文学」は、少なくともここまでの地点には、達しえていたのだ。魂に何の痛みも感じない自足した偏差値エリートの“言論人”と、惨たらしくも冷ややかに絶望する大衆との意識があまりにも乖離した現在の状況に引き比べて見るとき、“戦後60年”の果てに、私たちが喪失したものの重さが分かる。





◆『すばる』 2006年2月号

 「戦後文学エッセイ選」を読む

  目取真 俊(作家)


 影書房から「戦後文学エッセイ選全13巻」の刊行が進んでいる。同書房代表の松本昌次氏の編集によるもので、すでに「花田清輝集」「埴谷雄高集」「木下順二集」「竹内好集」が刊行され、今後、上野英信、長谷川四郎、武田泰淳、杉浦明平、富士正晴、野間宏、島尾敏雄、堀田善衞、井上光晴らのエッセイ選が刊行される。

 私が大学に入ったのは一九七九年だが、学生時代に埴谷、野間、武田、島尾、井上らに加えて、椎名麟三や大岡昇平といった戦後派作家の小説を、当時は書店や古本屋で当り前に並んでいた文庫本でよく読んだ。「政治の季節」は終わり、「左翼からサヨクへ」と言われた時代で、そういう時代風潮は沖縄にも流れていた。

 ただ、ヤマトゥと違って沖縄には、目の前に巨大な米軍基地があった。大多数の日本人は反安保闘争を過去のものとして忘れ、日米安保条約を特に意識することもなく日々の生活を送っていた。それが可能となったのは、1950年代から60年代にかけて日本各地にあった米軍基地を沖縄に移すことにより、日米安保体制がもたらす被害を回避していたからだ。

 それは沖縄に被害を集中させることを日本人の多数が選択したということでもある。そのことを省みることもなく、沖縄ではまだ戦争や基地、安保条約が問題になっているのか、と鼻で笑うヤマトンチューはあの頃もざらにいたし、今もいるのだが、大学に入って米軍の演習や被害の実態を認識するにつれ、それらの問題が私にとっては大きな問題として迫ってきた。

 そういう中で戦後派作家達の小説やエッセイを「同時代としての戦後」を考えるものとして読んでいた。それからすでに20余年が経っている。「戦後」という言葉が持つ響きも時代状況も大きく変っている。だからこそ、その変化に耐えて読み直されていくだけの価値がありながら目に触れにくくなっている文書が、ベテランの編集者の手で再度世に送り出されることの意義は大きいと思う。

 第四回配本の「竹内好集」の中に「前事不忘、後事之師」というエッセイが収められている。「朝日ジャーナル」1972年12月29日号が初出で、その年に発表された日中共同声明について書かれたものだ。小泉首相の靖国神社参拝をめぐって日本と中国、韓国の関係悪化が深刻化しているが、この問題の根幹に触れる洞察を竹内は30年以上前に行っている。

 「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」

 日中共同声明前文の中に含まれているこの「反省」という言葉に注目し、竹内は日本と中国双方の「反省」という言葉のとらえ方の違いに注意を促す。

 「反省するからには、当然、それが行動となってあらわれるべきだ、というのが中国語の語感であるし、中国側の期待でもある。それにひきかえ日本側は、『反省』という文字を記せばそれで反省行為は終わった、と考えている節が見える」と指摘する。

 その上で竹内は、過去を水に流す「ミソギ」という土俗を持つ日本人の思考習性と、記録を生命よりも大切にし、後世の史家の判定にゆだねる漢民族の思考習性の違いについて述べ、「この相違を主観だけで飛びこえてしまうと、対等の友好は成立しない」と記す。

 竹内のエッセイを読むと、日中共同声明にはらまれていた侵略戦争の責任を曖昧にしようという小手先細工が、今日まで継続されて来たのが分かる。そのツケがアジアの中で日本の孤立化を招くことに、日本人はどうしてこんなに危機意識が低いのだろうか。

 東アジアの盟主を目ざす中国に軍事的に対抗することを目的の一つとして在日米軍の再編が進められ、東シナ海をはさんで中国と対面している沖縄列島が米軍と自衛隊の共同作戦の拠点として強化されようとしているそういう現在の状況を目にすると、「前事不忘、後事之師」という言葉はさらに重みを増しているように思う。





◆『週刊金曜日』 2005年10月7日号

 現代の思潮へのアンチテーゼ

  評者=木下昌明(映画批評家)


 戦後文学といえば、10年ほど前、その種の本が古書店の廉価台につんであったが、最近はそれさえも見かけなくなった。だから、影書房で「戦後文学エッセイ選 全13巻」を刊行するときいて驚いた。といって「いまどきそんな本を出しても売れませんよ」と親切に忠告しても、当の社主兼編集者の松本昌次から「余計なお世話です」といわれるにきまっている。かくいう私の映画批評集もここから出させてもらったのでよくわかっているつもりである。当の松本は泰然として「売れなくていいんです。いいものを作ることが大切なんです」といってはばからないからだ。しかし、経営は楽ではないはずだ。それなのに選集の刊行にふみきった。周囲は黙って見守るしかなかったというのが正直な思いだろう。それは、松本の「生涯を賭けてのただひとつの歌」でもあったからだ。

 松本昌次は、文学者・編集者の間ではよく知られている。かれは未来社の草創期から、ここにあげられた花田清輝、木下順二、埴谷雄高など13人の戦後文学者とは交流が深く、長い歳月をかけてかれらのすぐれた作品群を世に送りだしてきた編集者である。その編集には、文学関係が多いが、丸山眞男、藤田省三などの戦後思想、宮本常一の民俗学と挙げていけばきりがない。いわば戦後文化の基盤を築いた一人である。

 かつて松本の『戦後文学と編集者』(一葉社)を読んだときわたしが青春時代に感動して何度か読み返し、自己形成の下地となった本の多くが、かれの手になるものと知って、へぇーと感心したことがある。いまさらながら、お釈迦さまのてのひらの中で飛びまわっている孫悟空の心境になった(ちなみに、この本の中で、埴谷雄高の最初に出した「難解」な評論集が売れずに倉庫に山積みとなっているのを、かれが横目でにらみながら「今に見ろ」と自分にいいきかせているくだりは印象深かった。そのときの心境が出版人としての精神の核をつくりあげたのかもしれない)。往々にしてすぐれた文学者の陰には黒子に徹したすぐれた編集者がいるものだ。一般に知られていないが、その共同作業のなかから傑作も生まれている。

 もっとも松本の場合、編集のしごとばかりでなく、多くの文学・芸術批評をものし、一時代、演劇座をたちあげて秋元松代の『常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)』や廣末保の『新版(うらおもて)四谷怪談』などの芝居もやってのけた芸術活動家でもある。

 そしてかれは未来社を離れ、影書房という小出版社を創って、売れないが"いいもの"を出しつづけている。だから、このエッセイ選も「中国の魯迅を範とする"雑文"」――著者のその時々の文学的・思想的営為を集めたもので、戦後の文化運動をないがしろにして、新たな戦争"前夜"に向かって突っ走っている現代の思潮に対するアンチテーゼになりえている。そのために松本は、それぞれの膨大な著作から、かれらの呻吟したエッセイを選りだし、そこに自らの思いを託して時代に突きつけたのだといえよう。

 欲をいえば、若い作家・批評家がこれらのエッセイから何を学んだか、率直な見解をのべたページがほしい。いかにアンチテーゼとはいえ、いまの読者向けに再編集されたものだからだ――それにしてもやはり花田のエッセイはすごいと思った。時代を超えてせまってくる。





◆『民族時報』 2005年8月1日

 朝鮮を鏡に 編集者 松本昌次さん


 編集者生活52年。だれでもいい。一度でも図書館か書店に足を踏み入れたことがある人なら、松本昌次さんが手がけた著作と必ず対面しているはずだ。そのなかには、日本の出版文化史にその名を刻む、例えば丸山真男の『現代政治の思想と行動』(未來社)、戦後文学者らの名著が数多く含まれている。松本さんは83年に影書房を創業した。同社のカタログには尹東柱の全詩集『空と風と星と詩』(伊吹郷訳・解説)や徐京植氏の作品など朝鮮関係の本が多数ある。

 「50年の5月2日でした。連合軍総司令部(GHQ)民間情報局教育顧問のウォルター・イールズが『アカの教授を追放しろ』と全国の大学を講演して回っていたんですが、彼が東北大学に来た。ぼくはこの大学の学生でした。イールズが階段教室で講演を始めようとするやいなや、学生らが中止を要求しました。ぼくは前から10列目ぐらいにいてこの行動に参加して彼を撃退した。それからすぐに朝鮮戦争のぼっ発です。それがぼくの戦後のスタートになったわけです。」

 「17歳の時に敗戦を迎えました。ぼくは皇国少年だったんです。朝鮮や中国、アジアに日本は良いことをしていると信じ込んでいた。だから敗戦の意味が本当にわからなかった。しかし、敗戦からの5年間を通じて、日本がどれほどアジアにひどいことをしてきたのかを知りました。そして、朝鮮戦争です。毎日、日本から朝鮮へ米軍が出撃していく。それが耐えられない苦痛なんです。それでぼくたちは『米国は朝鮮から手を引け』をいうビラを作ってまきました。そこから朝鮮がぼくの中に大きな比重を占めるようになったんです。」

 「朝鮮戦争の休戦の年、53年に未來社に入りました。その前には夜間高校の教師をしていて、レッドパージで職を失ったからなんですが、朝鮮とは不思議な因縁があります。」

 「影書房になっても朝鮮にこだわって出版活動をしてきたのは、亡くなった安江良介さんも言っていますけど、朝鮮を見ることによって自分の精神を立て直す、ということなんですね。ぼくは朝鮮のなかに日本人の近代の悪が全部集中していると思う。中国やアジアに対して日本はひどいことをした。しかし、朝鮮からは土地、コメ、資源、そして言葉、名前など、ありとあらゆるものを収奪しました。つまり徹底した植民地支配、これをやった。それは朝鮮に対してだけです。ぼくにとっては朝鮮が鏡になるんです。」

 「だから朝鮮の本をやっていこうというよりも、ぼくは日本を変えたいわけですね。日本を変えるためには日本の文学をやりたい。日本の文学をやるためには朝鮮を抜くことができないわけです。」

 いま書店の平積みコーナーは「北朝鮮バッシング本」と「皇室関係」、「反『反日』もの」が占拠している。

 「村上龍氏の長編小説『半島を出よ』(上下、幻冬舎)と島田雅彦編著『おことば――戦後皇室語録』(新潮社)には仰天しました。村上氏の本の大新聞の大広告には、北朝鮮の反乱軍が九州の福岡ドームを占拠、日本と戦争状態になると大書してある。これを新聞やNHKが提灯(ちょうちん)持ち書評でほめあげ、ベストセラーだそうです。しかし、この本が日米一体となった北朝鮮敵視政策を加熱させ、戦争ムードをあおり、日本国憲法第九条改悪への地ならしになることに、村上氏も出版社もチラリとも思い至らないようです。ぼくは出版人として本当に我慢ならないです。」

 「これは自己愛だけなんですよ。自分の被害だけをいう。人に与えた被害を何と考えているのか。そのことにひと言も触れない。そして商業主義ですね。もうけるためには何でもうやる。もうけるためには朝鮮を植民地にしてもいい。同じ発想ですよ。しかし出版というのは、時代の批判勢力にならなければならない。編集者としてぼくが出会った戦後文学者たちには、戦争をエンタテイメントにしたり、皇室の『心の奥』を本にしたりする人はいませんでした。いま知的に最悪の時代を迎えています。」

 松本さんは出版人生の集大成として、「戦後文学エッセイ選」全13巻を企画・編集し、すでに2冊が刊行された。その13人は花田清輝(既刊)、長谷川四郎、埴谷雄高、竹内好、武田泰淳、杉浦明平、富士正晴、木下順二(既刊)、野間宏、島尾敏雄、堀田善衞、上野英信、井上光晴。彼らは松本さんが同時代にあって直接出会い、著書を作った人びとだ。

 「日本というのは思想や精神が受け継がれないですね。いわば埴谷さんのいう『精神のリレー』がない。それぞれの思想や文学にある一番いいものをどうやって受け継ぐかということができていない。進歩的な知識人もそうです。自分がいま一番いい仕事をしているといいながら、多大な恩恵を受けた先行の思想や理論を簡単に否定します。しかし、それではいけないと思うのです。この戦後60年のなかで悪戦苦闘してきた人たちの大事な資源と流れを、どうやってつなげていくかにぼくらの未来がかかっているんです。その意味でこの出版をぼくは『戦後文学の新たなルネサンス』と言うんです。」

 驚くほどに豊富で壮大な、そして繊細で強靭な戦後文学者の思索を、松本さんの編集で受け取り、次代にリレーする。その仕事にわたしも参加したいと、心から思った。      (高雄植記者)





◆『新文化』 2005年6月23日

 編集者・松本昌次が出会った作家13人の「戦後文学エッセイ選」


 編集者・出版人として、半世紀余にわたり本づくりに携わってきた影書房社長・松本昌次氏。氏がかつて出会い、その著書の編集に関わった文学者、評論家たちのエッセイを集めたシリーズが、6月13日に同社から創刊された。

 「戦後文学エッセイ選」(全13巻)に収録されたのは、花田清輝、長谷川四郎、埴谷雄高、竹内好、武田泰淳、杉浦明平、富士正晴、木下順二、野間宏、島尾敏雄、堀田善衞、上野英信、井上光晴の13人。戦後日本の文・論壇に、大きな足跡を残した人々である。

 松本氏は30年間にわたる未來社の編集者時代、及びそれに続く影書房での仕事で彼らに接し、その人となりを知る機会をもった。本シリーズには、氏が自ら読んで選んだ各20数篇を、各巻に収めている。そこから垣間見えるのは、編集者としてのこだわりとそれぞれの著者に対する敬愛の念。多くの作品のなかから、とくにその人間性を浮き彫りにするような作品を選んで採ったことがうかがえる。

 例えば第1回配本の『戦後文学エッセイ選1 花田清輝集』、『同8 木下順二集』の文章からは、花田の飾らないユーモアある人柄や、木下の真摯さ、鋭い人間考察が伝わる。同時代、前時代の様々な人物について語られた文章も多く、当時の文壇交友録や、今では「大家」と呼ばれる人々の意外な一面などを知ることができて興味深い。また各巻の表紙には、著者にゆかりの深い絵や写真が使用されている。

 収録エッセイは主に全集・作品集を底本とし、それらに収められていないものは、初出紙・誌、単行本などから採録。配列は執筆年月日順としている。また特別な引用文などを除いて、全て現代仮名遣い、新字体を用い、巻末には収録作品の初出一覧、及び各著者の著作一覧を付す。さらに各巻に、松本氏による、著者との思い出や解説を綴った小冊子が挿入されており、これも本シリーズの楽しみのひとつといえよう。以後、2〜3ヵ月に1点ずつ刊行する。




◆『高知新聞』 2005年7月12日

 戦後60年、敗戦から新たに出発し、独自の足跡を残した文学者たちを回顧する「戦後文学エッセイ選」(全13巻)の刊行が始まった。

 花田清輝、長谷川四郎、埴谷雄高、竹内好、武田泰淳、杉浦明平、富士正晴、木下順二、野間宏、島尾敏雄、堀田善衞、上野英信、井上光晴の13人。それぞれの"精神のエッセンス"ともいうべきエッセー(各20余編)を集成し、戦後文学のルネサンスへの道をもひらいていこうとする選集だ。

 第一回配本は「花田清輝集」と「木下順二集」。花田清輝は「仮面の表情」「芸術のいやったらしさ」「魯迅」「再出発という思想」「柳田国男について」「さまざまな『戦後』」など24篇。日本の変革をめざして戦後を闘いつづけた姿がいまも先鋭だ。

 また、木下順二は「日本ドラマ論序説」「シャイクスピアの翻訳について」「森有正よ」「東京裁判が考えさせてくれたこと」「『夕鶴』の記憶」など28編。劇作家としての鮮やかな軌跡を刻んでいる。





◆『民藝の仲間』 2005年7月1日

  『オットーと呼ばれる日本人』、『審判』、『子午線の祀り』、『巨匠』などで知られる木下順二氏のエッセイを精選した「木下順二集」がこの度発刊されました。

 敗戦後の日本に確かな足跡を遺した文学者たちのエッセイ集「戦後文学エッセイ選」(全13巻)が影書房より刊行されていますが、この本はそのシリーズの一冊です。

 劇団で昨年上演した『巨匠』の創作の発端となった「芸術家の運命について」や、故・宇野重吉への追悼文「宇野重吉よ」など、29編を収録した珠玉のエッセイ集です。この機会にぜひお読みください。





◆『読売新聞』 2005年6月19日
 
 「個人のオリジナリティーなど知れたものである。時代のオリジナリティーこそ大切だ」(花田清輝)――。戦後作家たちの言葉は、含蓄があった。埴谷雄高、武田泰淳らのエッセーをまとめた「戦後文学エッセイ選」の刊行が始まった。第1回配本は、花田清輝と木下順二の巻。戦後60年。言葉の重みについて考える契機になりそうだ。




◆『東京新聞』2005年6月19日
 
 (略)敗戦後に体験的で骨太な文学や思想を築き上げた作家たちの、個性を刻印するエッセーを精選して収録。


◆『日刊ゲンダイ』2005年6月21日

 (略)作品を通じ戦後日本の行く末を示してきた13人は、いずれも影書房編集者である松本昌次氏が直接、著作に携わった作家たち。彼らの文学的精神を継承・発展させたいという松本氏の願いを結実したシリーズだ。