● 「図書新聞」2010年4月24日
貧乏人の「わびしさ」を引き受け、詩情に転換した芭蕉
――芭蕉の「わび・さび」を貨幣経済社会のなかで考察した労作
評者=浅沼 璞(俳人・連句人)
これは意外なことだが、本書は、日本近世文芸を長く研究してきた著者の、単著としての処女作である。「あとがき」では、なかなか出版に踏み切れなかった理由の一つとして、芭蕉の俳諧の問題をあげている。
「わたしの問題意識の一つは、近世文芸を貨幣経済社会のなかで考えていこうとするものですが、井原西鶴の浮世菓子、上田秋成の『雨月物語』など、散文のなかで、あるいはまた、近松門左衛門の人形浄瑠璃という演劇のなかで、この問題をとらえようとしてきました。けれど、韻文である芭蕉の俳諧については、対象として取り上げることができずに、詩歌の世界は特別視するべきなのか、いや芭蕉であっても社会的背景と無縁ではないはずだ、と迷いのなかで過ごすことになりました。」
自己の研究に真摯に取り組む、てらいのない著者の姿がここにはある。続けて著者は、本書で唯一の書き下ろし「芭蕉の「わぶ」」が、この問題の突破口となったことを語っている。この書下ろしは、とかく心情的に語られがちな芭蕉の「わび」「さび」の、わけても「わび」に焦点をしぼりながら、それを貨幣経済社会のなかで考察した労作である。
まず著者は、芭蕉が職業俳人としての生活を捨て、深川に移った延宝8年の冬に注目する。そして、この冬から一年ほどの間に、立て続けに書かれた一連の句文を、丹念に読み解くことによって芭蕉の「わぶ」に迫っていく。「貨幣経済の台頭した十七世紀、しかも江戸という当代髄一の消費社会」で芭蕉が経験した「貧しく悲しくつらい失意の生活感慨」を「わぶ」の契機としてとらえ返していくのである。その感慨とは、よくいわれる「隠遁者の自足の境地や、閑寂な趣」などとは無縁なものにほかならなかったと規定しつつ。
むろん著者は、芭蕉が生活者であったと同時に詩人であったことを、一瞬たりとも忘れはしない。「芭蕉は、直接には社会の苦難を嘆かない。(中略)貧乏人を案じたり憤るのではなく、自分を貧乏人の底辺に置き、それの味わうわびしさの感性を、日本の詩の世界に定着させようと懸命になる」と評する。その視点は、たとえば、歳暮の餅搗きの音を背景とした、次の句の重要性を見逃さない。
暮れ暮れてもちを木玉(こだま)の詫寝(わびね)哉
ここに著者は、「貧しさだけでなく、世間では一年で最も活気付く年末、正月を待ち望む年末、そこから一人外れてなすこともない者のわびしさ」を発見し、「そのわびしさを寝ながら引き受け」ている詩人の姿を見出す。
こうして著者は、「負の感性である「わぶ」を詩情へと転換しようとする過程」として、深川の隠遁後の一年間を位置付けることに成功しているだけではない。やがてその「わび」が、『虚栗』において「風雅」と並列されたことに言及していく。これは「芸術・文学に匹敵する」風雅との並置にほかならない。
果たして著者は、書き下ろしの本稿を締めくくるにあたって、「かるみ」の境地にいたった晩年の芭蕉の遺語、「侘びしきを面白がるはやさしき道に入りたるかひ(甲斐)なりけらし」(『別座敷』)を引用する。「やさしき道」とは「風雅の道」に違いないが、じつはこの一節、本書のプロローグとして、目次後の中扉の裏にも掲げられている。さきに引いた「あとがき」の問題提起に呼応するかのごとく、「西鶴や近松のように目前の現実を直接描写して思いを述べることはなかった」芭蕉の、その晩年の境地が、巻頭に一行書きされているのである。あたかも連句の発句さながらに。
本書の副題にかかげられている「西鶴・近松・芭蕉・秋成」の緒論が、このプロローグ(遺語)のもとに連なっていることへ、今は深く思いを致すばかりである。(俳人・連句人)
●「出版ニュース」2010年4月上旬号
〈近世のはじまりとともに、民衆は貨幣経済社会を生きることになる。それにより、精神の拠り所であった、人としての在るべき姿、善悪、道徳等、すべての価値基準が根底から覆るという一大転換を経験することになった〉貨幣経済の発展は、近世の文学者たちにとっても無縁ではなかった。本書は、西鶴、近松、芭蕉、秋成といった近世を代表する文学者たちの作品世界と貨幣経済との関係を、精神史の観点から考察する。たとえば、近松は『女殺油地獄』で、主人公に、今ここにある金への執着を語らせ、貨幣経済が人倫に及ぼす影響を描き、西鶴は『世間胸算用』で、生活風景に質屋の存在を織り込む。貨幣がもたらす近世社会の矛盾と文学の豊饒が見えてくる。
● 共同通信配信 「沖縄タイムス」ほか掲載
西鶴や芭蕉解説にスリル
評者=海野 弘(作家)
さりげない題であるが、近世文学の見事な読み手によって、西鶴、近松、芭蕉、秋成の豊饒な世界に案内され、ぜいたくな時を過ごすことができる。どの章から読んでも面白いのだが、あとがきにあるように、最後の「精神史としての近世――『廣末保著作集』完結に寄せて」が全体的見取り図を示しているので、まずそれから読むのがいいかもしれない。
「日本の近代は、近世を視野の外においてきました」ということばにはっとさせられる。これは芸術史でも同じで、江戸の美術の評価はひどくおくれていた。なぜかといえば、近代は近世を前近代として否定することで西欧化しようとしていたからである。
それだけに、廣末保などの近世評価は大きな衝撃であった。この本の著者もそれを受け継いで発展させているようだ。
著者は近世の特色を三つあげている。
「@印刷技術の発達により庶民が活字文化の洗礼を受けたこと、A貨幣経済の時代に突入したこと、B悪場所という一種独特な文化の発信地が誕生したこと、の三点です」
この三つの特色を縦横に駆使しながら西鶴や近松を解読していく各章はとてもスリリングである。
三つ目の開く場所はもちろん、廣末保の「悪場所の発想」で提起されたものである。私などもこの本を夢中で読んだことを覚えている。パリやニューヨークの都市のアンダーワールドに魅せられていた私が、江戸の盛り場に関心を寄せたのも、この本のおかげであった。そんなこともあって、このしなやかで、したたかな近世文学論に親しみを感じつつ読むことができた。
また芭蕉の句をゆっくりとたどっていく「芭蕉の『わぶ』」などの章も、俳人の足どりとともに歩んでいくような味があって、快い。
あらためて、西鶴や芭蕉を読み返してみたいと思わせる本である。
● 「社会評論」2010年春号
前近代の可能性を探る独創的な近世論
評者=湯地朝雄(文藝評論家)
この本は、副題に「西鶴・近松・芭蕉・秋成」とあるのだから、江戸時代(近世)に活躍した作家たちについて論じたものと思われるのに、書名が『近世文学考』ではなく、『近世考』であるのはなぜか。この本を初めて見た人がだれしも抱く疑問であろう。しかし、この本の書名はやはり『近世考』でなくてはならぬのである。なぜなら、そこにこの本を書いた著者の基本的意図が端的に表されているからである。
著者は巻頭の『西鶴――経済社会の小説』の冒頭で、日本の近世における文化史的。精神史的に重要な事柄の一つとして「貨幣経済社会が始まったこと」をあげ、次のように述べている。
「徳川幕府の貨幣鋳造により、庶民の生活に貨幣が流通するようになった。それにより人々は価値観の大きな転換に遭遇する」「力をふるったものは人の生きる基準であったはずのモラルや徳とは無縁の貨幣であった」「十七世紀元禄期、上方の西鶴や近松は今まさに目前に起きている有様をとらえてみせている。十八世紀天明期、上方の上田秋成は、徳の崩壊と貧富の差の問題を論理的に問い詰めていこうとする」
右の引用からも明らかなように、著者は、日本の近世を、貨幣経済の到来により価値観の一大転換が起こり、道徳的善悪よりも経済的損得が幅を効かすようになった時代ととらえる。そうして著者がこの本で取り上げた作家たち――十七世紀の西鶴や近松は彼らが目撃した始まったばかりの貨幣経済社会の混乱や矛盾を作品に表現したのであり、十八世紀の秋成は『貧福論』(『雨月物語』所収)で強欲非道の者が富み栄え、誠実有徳の者が貧窮する貨幣経済社会の矛盾(貧富の差)を論じた、というのである。(なお西鶴では『本朝二十不孝』『西鶴置土産』など、近松では『女殺油地獄』などが取り上げられている)つまり著者は、西鶴・近松・秋成らの文学そのものよりも彼らの文学がとらえた近世という時代を彼らの作品の具体的検証を通じて論証しようとしているので、そこにこの本の書名が『近世考』である所以があるのである。
この本の論考における著者のこうした意図は当然のことながらその近世観と密接に結びついており、そのことは、巻末に付された『精神史としての近世』に詳しく述べられている。その中から著者の大観的近世観とでもいうべきものを抽き出してみよう。
「日本の近世は、社会制度は封建制度でありながら、一方では貨幣経済が始まり商業社会に生きるというように、世界史の観点からみてもかなり特殊な事情のもとにあります。特殊ということでいえば、封建制度の担い手である武士階層は、中国にも韓国にも誕生しませんでした。ヨーロッパとアジアの東の日本にだけ封建社会は成立しました」
ここでも著者は、古代・中世・近世・現代といった日本史の流れに沿った常識的な視点から飛躍して、世界史的な視野に立って近世をとらえるという姿勢を鮮明にしている。徳川幕藩体制は、マルクスも認めているように、封建制度として、ヨーロッパにも例がないほど完成していたともいえるので、こういう近世観は、論理的必然として、近世=東洋に対する近現代=西洋の優位性を自明の前提とした近世観とは対立することになる。著者は秋成『雨月物語』の『浅茅が宿』を論じながら、「神秘」「浪漫」「幻想」などの言葉で秋成を讃美し、現代の秋成評価の基準をつくった佐藤春夫・保田與重郎・三島由紀夫ら近代作家たちを、それは「近代による標識であり、一つの側面にすぎない」と批評し、「近代の物差しをあてるまでは、秋成の可能性を見出すよりも、限定化する面のほうが大きい」と断ずる。「前近代の可能性」を主張した師・廣末保の学説を積極的に受けついでいるわけである。
なお『精神史としての近世』で著者は、近世の特色として、@印刷技術の発達と高い識字率による文字文化の普及、A貨幣経済社会の始まり、B人々が遊興の夢を託した「悪場所」(遊郭と芝居=歌舞伎)の誕生、をあげており、それぞれに興味深い問題を含んでいるが、今は紹介に止めておく。
最後にこの本の芭蕉論について若干触れておこう。
芭蕉俳句と貨幣経済社会との関係は、西鶴や近松の場合のように直接的ではなく、やや複雑で難解である。芭蕉は1672年29歳のときに故郷・伊賀上野を出て、当時、世界有数の大消費都市であった江戸で俳諧の宗匠として活躍するが、1680年突然その職業俳諧師としての生活を捨てて、郊外深川の草庵に隠棲する。そして一年ほどの間に数編の句文を書くが、著者は、それらの句文を書きながら、芭蕉は、蕉風俳諧の核心となるべき新しい詩情=芸術観についての思索を重ねると見る。そして一連の句文の中の句や言葉を丹念に検証・吟味しながら、芭蕉の用いている「わぶ」という言葉に着目し、そこにこめられている感慨や意味を探っていく。著者によれば、この「わぶ」は「隠棲者の自足の境地や閑寂な趣の『わび』」とは違うものである。著者は言う。「芭蕉の『わぶ』には、十七世紀の都会で経験した『貧しさ』によって引き起こされた感情がこめられている」のであり、またそれは「風雅の中心を託す語として選ばれ」たのである、と。論考『芭蕉の「わぶ」』はこの本の中でも注目すべき力作である。
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