書 評

ミヒャエル・デーゲン著
『みんなが殺人者ではなかった』

(小松はるの・小松博 訳)






◆『しんぶん赤旗』2006年4月2日
                                          評者=永岑三千輝


 本書は、ナチ体制の戦時下ベルリンで生き残ることに成功した母子の経験が、当時少年だった著者の回想記としてまとめられたものである。

 地下に潜った当時11歳だった彼は戦後、母親にあの時代のことは忘れるようにと約束させられ、戦後数十年以上、記憶に封印をした。それを解くきっかけとなったのは両親が奇跡的にアウシュヴィッツを生き延びたアメリカの作家との対談だったようである。

 トークショーのあと出版社がその話を本にしないかともちかけた。はじめ躊躇したが、書き始めてみると驚くほど鮮明に当時のことがよみがえったという。事実、この1999年出版の回想記には、生死の境を潜り抜けた人しか書きえないスリリングな経験が連続して出てくる。

 ドイツで「疎開」政策(内実は絶滅政策)を逃れ地下に潜ることができたのは13万人のうちわずかに1万人ほど。その半数がベルリンとその周辺に隠れ住んだ。しかし、生き延びたのはわずか1500人ほどであった。

 奇跡といってもいいが、実はそれを可能にする人間たちとさまざまな条件の結びつきの結果だということ、これを本書は明らかにする。父親は強制収容所で半死状態にされ、ユダヤ人病院で死亡した。しかし、彼から経営を引き継いだドイツ人が律儀にひそかに儲けを折半して渡してくれた。さらに亡命ロシア貴族、売春やどのおかみ、共産主義者、アウシュビッツへの列車の機関士とその息子など、意外な人々、直接関係のない人々が途切れがちながらもつぎつぎと極細の糸で支援の輪に連なってきた。

 社会の隅々には、必死に締め付けを強めるナチ体制のもとでさえ隙間があった。治安警察も最後には激しい空襲の中でユダヤ人のことなどかまっておれなくなる。しかし、不可能を可能にしたのは母子の生存意欲と危機一髪の機転であった。




◆『ふぇみん』2006年3月5日号

 ドイツでは著名な俳優である著者による少年時代の回想記。事実は小説より奇なりという言葉があるが、スリリングな展開に、最後の一行まで目が離せなかった。

 第二次大戦中のドイツ、11歳だった著者は母と二人、ナチス支配下のベルリンで収容所送りを逃れるため、必死の逃亡生活を送る。彼らを助けたのはナチ親衛隊員、亡命ロシア貴族、売春宿の経営者、共産主義者、アウシュヴィッツへの護送列車機関士といった人たち。奇跡的に著者と母は生き延び、偶然の出会いから、救いの手を伸ばした人が収容所や前線に送られ命を落とすという厳しい現実には粛然となった。

 ゲシュタポの目が随所に光る町での暮らしは、特高警察に怯えた戦時の日本の人たちの姿と重なる。米英軍の落とす民間への容赦ない爆撃に逃げまどい、家を焼かれ、食料の調達もままならない状況も同じだった。

 ネオナチの集会に抗議したことで、自宅を壊され脅迫を受けたという著者は、今また、あの時代と同種の危機感を持っているという。





◆『出版ニュース』2006年3月上旬号
 
 ヒトラー政権下のベルリンで、著者「ぼく」と母親は連合軍の爆撃やユダヤ人狩りを逃れ、幾度も襲ってくる危機的な状況をもすり抜け、生き残ることができた。それを可能にしたのは、自らの命を賭けてユダヤ人を匿った人々がいたからだった。

 その人々のなかにはナチ親衛隊員もおり、彼は著者の父親をザクセンハウゼン収容所から救い出す手助けを行っている。だがその甲斐もなく、父は拷問がもとで亡くなり、彼を助けたナチ親衛隊員も厳しい審問を受けた後に激戦が続く東部戦線に送られ戦死させられている。その一方で金稼ぎのために母子に寝床を提供しただけという売春宿の老婆もいれば、反ナチズムという立場から積極的に助けてくれた人々もいた。本書はこのような多くの人々の行った勇気あるドラマと、爆撃下に暮らすベルリンの庶民たちの様子などを描いたスリリングな回想記で、1999年に出版された原著の完訳版である。