書 評




米須興文 著
『マルスの原からパルナッソスヘ
 ――英文学の高峰に挑んだ沖縄少年

 


◆『沖縄タイムス』2005年1月8日

                           評者=吉村 清(琉球大学法文学部教授)

 本書は、2002年の秋、本誌に連載し、好評を博した回顧録「英語・英文学人生」をベースにまとめたものである。

 三幕(部)構成で、第一幕が「放たれた『いくさの犬』」と題され、十五年戦争にかかわる「その他の大勢組」のなかの一軍国少年時代を回想している。最後の疎開船で吸収に向かい、大分で肉親を病で失うという悲運にあうが、随善寺に引き取られ、寺の膨大な蔵書を読み、「ラジオ英会話」により英語開眼し、新渡戸稲造の「歸雁の蘆」に触発され、留学への夢を抱くようになる。敗戦後の野岳高校を卒業し、生きた英語力を習得するため米軍将校クラブでのバーテンの道を選択する。

 第二幕「英語・英文学世界への旅立ち」では、「太平洋を渡る雁」となり米国留学し、数々の文化ショックを浴びながら、英文学を専攻し、「優等」の栄誉を与えられ卒業し、院進学を希望するも果たせず、失意の帰国。帰沖後、琉大学長秘書として採用され、その後同大夜間部講師となるが、さらなる英文学研究のため自費留学し、イェイツに関する学位論文で博士号取得までの経緯をつづっている。 

 第三幕では「ルビコンのむこう」と題して長年の夢であったギリシャ各地の巡訪、イェイツ研究者として世界の舞台での活躍、激動の文学批評の世界を概観した上で、文学は本質的に文学的伝統の受容、破壊、そして創造の循環的な営みの中で成立しているとする「創造的循環」という概念を機軸に独自の文学論を展開、併せてこれまで携わった英語辞典や教科書編纂に触れている。

 本書は多くの読者、特にこれから留学を志す若い人たちに是非一読を勧めたい心揺さぶられる一冊である。達意の名文に加えて、随所に味わいのあるうちなー口を交えた軽妙洒脱な表現、ユーモアに富んだ興味深い逸話が盛り込まれ、多くを学べ、元気のわき出る好著である。





◆『琉球新報』2005年1月9日
                                  評者=高良勉(詩人)

 私は、沖縄の地で世界に誇れる四名の碩学に私淑する幸運に恵まれた。琉球大学卒でないにもかかわらず私は、民俗・地理学の仲松弥秀、英語・英文学の米須興文、哲学・記号学の米盛裕二、日本・琉球文学の故・仲宗根政善先生方の自宅や研究室等に通い、その深い学識と思想を教えていただいた。

 今回、そのお一人・米須興文著『マルスの原からパルナッソスへ』をくり返し読む機会を得た。本書は、著者の英語・英文学人生の回顧録をベースにしているが、一本の文学作品として、また戦後史の証言としても読むことができる。

 米須は、本書の冒頭に「人の世はなべて芝居の舞台/男も女もこれ皆役者に過ぎぬ」(シェイクスピア)を引用し、自分の人生をできるだけ客観化し、ドラマとしても記述しているからだ。

 本書の目次を見てみると「第一幕 放たれた『いくさの犬』」「インタルード(幕間)」「第二幕 英語・英文学への旅立ち」「第三幕 ルビコンのむこう」と演劇的に構成されている。

 この人生ドラマを読む通すと、どんな逆境にも負けずに生きぬく感動と勇気がわいてくる。沖縄の戦前、戦中を生き延びてきた人々は、筆舌に尽くしがたい貧困と苦難の道を歩んできた。私は著者が高校卒業後すぐには進学せず、軍作業に就職してから米国留学試験に合格したことは知っていた。しかし幼少から続いた生母をはじめとする肉親との死別や、大分県疎開の戦争体験など中学時代の苦難は今回初めて知った。

 米須は社会的条件の貧しさに屈することなく、学問研究を積み重ね博士号を授与され、琉球大学名誉教授になった。そして今やW・B・イェイツをはじめとするアイルランド文学、英米文学の研究で「国際英語英米文学教授協会(IAUPE)」の学会員に推挙され「世界のコスメ」と評価されている。パルナッソスの高峰に登ったのだ。

 私は、米須の独創的な文学批判理論である「創造的循環論」(228頁)に強く共感し、世界的視野から相対化した沖縄文学・文化批評から多くを学び創作の源泉にしてきた。本書からも、文学者や研究者、教育者をはじめ読者が触発されることは多大である。