書 評

根津公子 著 『希望は生徒――家庭科の先生と日の丸・君が代
 


◆共同通信配・徳島新聞 2008年1月21日(インタビュー)


 東京都の教員根津公子さんは卒業式での君が代斉唱時の不起立などで、これまで9回もの処分を受けている。その経過と生徒らへの思いを記した「希望は生徒」を出版した。

 不起立を続けるのは日の丸や君が代に反対というだけではない。「全員が同じ方向を強制されるのは怖い社会」と認識しているからだ。「おかしいと思うことをやってしまうことの方が、自分にとってきつい」と話す。

 最近の処分は2007年3月に受けた停職6ヶ月で、3回目の停職処分。停職中は学校の門前に立ち、生徒や近所の人たちに問われれば、考えを伝える「自主登校」を行なう。「悪いことをしているつもりはないので、学校でこんなことが起こっていると生徒や周りの人に知ってもらいたい。知ることは考えることにつながる。積極的に姿を見せたい」

 停職から復帰後、「おかしいと思ったことに対しては立ち上がっていいと知った」と感想を記す生徒が少数だが現れた。「教育の中では、抵抗することは教えないようにされてきた」と話すが、社会に格差や貧困が広がる中、「一生懸命仕事をしたのになぜ不当なことをされるんだと窮地に立ったとき、私のことを思い出してくれるかもしれない」と期待をかける。

 処分の一方、配置転換が重なった。本来は家庭科の担当だが、現在は特別支援学校で家庭科とはまったく離れた仕事に従事している。

 次に処分があるとすれば免職の可能性があるが、08年3月の卒業式でも「立ちません」と断言。

 これまで処分回避のためか、管理職から会場外の警備をするよう促されても断ってきた。

 「生徒にも『嫌な人は出てもいい』と言うのならのむが、教員だけ外に出ているのはおかしい」と考えるからだ。

 「都教委は処分をちらつかせたら降参するだろうと命令するのだろうが、そうでない教員がいる事実を残そうと思っている」と、穏やかな表情ながら固い決意を話した。




◆琉球新報 「金口木舌」(一面コラム) 2008年2月11日

 卒業式シーズンがやって来る。昨年、息子の中学の卒業式で、学校の在り方を考えさせられる出来事があった▼生徒たちは卒業生と在校生が向き合う対面式を希望したが、校長は全員が舞台正面を向く形式を譲らない。生徒たちは校長に直談判、全体集会で疑問をぶつけるなどして対面式が実現した▼だがこの結末は、まれなのかもしれない。根津公子さんの「希望は生徒」(影書房)を読んでそう思った。東京の中学教師の根津さんは、卒業式での君が代斉唱時の不起立などを理由に9回処分された▼根津さんは訴える。「ふだん教員は生徒に『考えてから行動しなさい』と言っているのに、『日の丸』『君が代』のときだけは何も知らせず、考えさせず、指示に従わせる」のは「暴力だ」▼東京地裁は「国旗への起立や国歌斉唱を教職員に強制するのは違憲」と判断(2006年)したが、06年度に同問題で処分された全国の教職員は前年度より31人増の98人。神奈川県教委は個人情報保護審議会が不適当と答申したにもかかわらず、不起立教職員の氏名を校長に報告させている▼「まず自分の頭で考えて行動する人になってほしい」と願う根津さん。民主主義を教える大切な場を壊してはならない。





◆『沖縄タイムス』 読者投稿欄、2008年1月14日掲載

 君が代の強制 「危険な道」に  (垣花恵=43歳)

 1999年の国旗国家法制定の際、小渕恵三総理や野中広務自民党幹事長は、たとえ、この法律が成立しても、教育現場などで強制されることがあってはならないと国会の場で明言された。それが、どうでしょう。東京都をはじめとした多くの自治体で、入学式や卒業式の君が代斉唱時に起立しなかった、歌う声が小さかったなどと監視調査してさまざまな処分を下している。

 処分された多くの教職員のうちの一人、東京都の教員根津公子さんは、卒業式での君が代斉唱時の不起立などで、これまで9回もの処分(停職6ヵ月を含む)や、本来は家庭科の担当だが養護学校への異動や遠隔地への転勤命令など、常軌を逸した嫌がらせを受け続け、次に処分があれば免職の可能性もあるとのことである。しかし根津さんは敢然と立ち向かうとのことだ。その根津さんが書かれた『希望は生徒 家庭科の先生と日の丸・君が代』(影書房)を読むと、この国はまた危険な道を突き進みつつあることが分かる。(浦添市、医療職





◆『出版ニュース』 2008年1月上・中旬合併号

 〈自分の頭で考えることや、理不尽なことには抵抗してもいいのだという、人が人として生きる上での大切なことを学ぶ機会を結果的に子どもたちから奪っている〉〈一人ひとりが「生かされる」のではなく、「生きる」ために教育はあるはず〉〈自分と向き合い、自己を問い続けることは〉〈皮肉にも、すさまじい攻撃と弾圧下に置かれたからこそできた〉 中学家庭科教師である著者は、昨年(2007年)の3月、卒業式における「君が代」斉唱時の「不起立」によって都教委から停職6カ月の処分を受けた。

 本書は、自身の教師としての歩みをふり返りながら、戦争責任と教育者の責任をはじめ、圧力と管理強化のなかで、一人の教員として貫いてきたポリシーの軌跡を綴った記録である。ここには、「日の丸・君が代」の強制の実態はもとより、生徒自身の行動や教員との信頼の形成も描かれ、閉塞化する状況での希望を示している。