書 評

宮岸泰治 著 『女優 山本安英』
 


◆『毎日新聞』2006年11月19日
                

 その日、つうは本当に鶴になった
                                               評者=渡辺 保

 1972年の秋。
 宮岸泰治は、山本安英の「夕鶴」のつうが「さようなら」といってとびらの向うに消えた時、信じられない体験をした。

 つうは、ここで与ひょうと別れて鶴に戻り天空に飛び去る。むろん人間はどんな名優でも鶴そのものにはなれない。しかしその夜、宮岸泰治は、つうが「ほんとに消えた」と思った。さらに74年の時には、とびらの蔭を白いものがスーッと消えていくのが見えた。

 宮岸泰治は、1950年1月の東京初演から上演回数千回をこえる最後の「夕鶴」までずっと山本安英のつうを見続けてきた。しかしあとにも先にもつうが「ほんとに消えた」と思ったのはこの時たった一度だけであった。

 「夕鶴」の作者であり、岡倉士朗のあとを受け継いで演出も担当していた木下順二も、この時そう思った。

 一瞬にもせよ人間が鶴になる。山本安英はその時現実の鶴以上に鶴そのものになった。芝居とはこの奇蹟(きせき)のなかにある。その奇蹟の瞬間を、演劇評論家宮岸泰治はここに書き遺(のこ)した。

 むろん宮岸泰治は「夕鶴」だけを見て来たわけではない。新聞社に勤めて多くの芝居を見て来た。しかし人生の後半にのぞんで、長い間付き合ってきた「夕鶴」について、山本安英という女優について書き遺したいと思っても無理ではない。この奇蹟があったからである。そしてこの書が宮岸泰治の遺作となった。

 本書は三部から成り立つ。
 第一部「山本安英のことば」は山本安英から折にふれて聞いた芸談を主とする。第二部「ある俳優がたどった道」は客席から見た山本安英の当り役七つを描く。そして「補遺」と名づけられた第三部は、戦後に山本安英が出発点とした木下順二の「山脈(やまなみ)」の戯曲の構造を分析している。

 第一部を読めば山本安英がいかに言葉の発音一つ、動きの一つ一つに苦心したかがわかる。そこには今日の俳優たちからはほとんど考えられないほど深い工夫が凝らされている。

 たとえばつうが最後の一枚の布を織って機屋から出てくるところ。ト書きには「すっと白くなる」。山本安英がその表現に悩んでいる時、木下順二は突然空襲の時の体験を話すように山本安英に促した。東京大空襲、燃え盛る炎のなかで真っ白になった時の気持ち。そこで山本安英はつうが異次元に飛んで「白くなる」表現のあり方を悟った。それ以後のつうは、舞台の奥から出る時、正面を向いて遠くを見つめるように歩いてくるようになった。この前提があって「ほんとに消え」られたのである。

 あの「夕鶴」のかげに空襲の体験があることをだれが想像できるだろうか。
 もっともこの本はそこらの芸談のように読みやすくはない。一つは俳優のこういう血を吐くような苦心が重いからだが、もう一つはそれに迫る、宮岸泰治の文章また決して平易ではないからだ。

 しかしそれだからこそ山本安英という名女優の姿が、あるいはあの「夕鶴」の奇蹟が、ここに遺されることになった。

 第二部に取上げられている、たとえばロルカの「ベルナルダ・アルバの家」の山本安英のアルバは私も一ツ橋講堂で見たが、実に恐ろしい老女だった。いまでも私には彼女の突く杖の音が聞こえる。そしてあれ以後、私はだれのアルバを見ても一度として感心したことがない。

 名女優死してすでに十三年。山本安英の舞台を知る人はだんだん少
なくなっていくだろう。しかしこの本あるかぎり、山本安英は永遠に生き続けるに違いない。