◆『週刊読書人』2003年11月28日
沈黙を取り戻すために オキナワの真のコトバを求めて
評者:小林広一(文芸評論家)
沖縄について他の多くの作家が饒舌に語っているのにたいし、著者はまだあまり語っていない、と感じさせるにもかかわらず、ぜひ読みたいと思わせるのはなぜであろうか。どこで、どう、ことばを発しているのであろうか。不思議な力をもった著者である。その著者20代の初期作品集で、おそらくおおくの読者がながくまちわびていたものにちがいない。
表題作は沖縄の献血大会に皇太子夫妻が出席するために過剰警備となり、平和通りと名付けられた街で行商をしていた老婆がつまみだされるという物語であるが、戦争で夫を亡くし戦後を女手一つでくぐりぬけてきた老婆が、警備上邪魔になるということを会社や学校で慇懃に示唆される息子や孫たち、暴力団をも恐れぬ老婆の勇気ある気風を慕う女は、警備体制に反撥はしているものの、ニュースでは皇太子の大会のおことばが染みいるように入る。このおことばこそがこの精神秩序をもっともよく具現するものにほかならない。老婆たちは秩序にたいして怒りはあるものの、根本批判して瓦解させるだけのことばをもたない。暴力的な秩序を打倒するだけの自分たちの“暴力”を見出せないのだ。まるで吃りながら生きているようなものである。いや、彼らは、ほんとうに、生きているといえるだろうか。隔靴掻痒のもどかしさである。
しかしそうであればこそ、「魚群記」や「マーの見た空」において、満たされぬ欲望ばかりを追跡するのも肯けるのではないか。「魚群記」の少年は異国の女や魚群に触りたいという触覚だけを、また「マーの見た空」の青年は友人たちから忘れられているマーという少年との接点だけを、ひたすら無我夢中に求めていく。それ以外のことには関心が向いていない。だから基地問題で駆け回る兄や父たちに軽蔑されたり、成人式の慣習を強要する親たちと衝突する。確かに彼らの感覚を中心とした生き方にあっては、社会的諸関係は育っていかない。ただ目前の、未知の、瞬時の、目標のないところの、感覚に浸っている、というにすぎない。しかしその感覚は、社会人として飼い慣らされた日常には失われているものであろう。反社会的に輝く彼らの瞳は、一瞬、生きるための初々しい緊張を美しく湛えている。
たとえばマーについての記憶を遡る青年は、マーがもともと出生において異国の血が流れ村の異端者扱いであったこと、同級生の女に性的虐待を加えていたこと、そのため村から大人たちの手によって追放死させられていたこと、その記憶を大人たちが消し去ろうとしていたことを知り、静かな雨の中の森の墓を訪ねる。そこで彼は、マーの気配を探り、姿を見ている。そして、彼のもの哀しい叫びを聞いている。これは錯覚か。妄想か――。疑うならば、社会の中で表現形式を持っていない欲望のゆくすえを思うてみよ。彼の耳目には、この世で表現のかたちをもてない生命へのシンパシーで溢れている。生があっても生きられなかったものたちの怨恨をかぎわけているのである。あるいは、表題作の主人公たちにはなかったことばを記しているといっていいかもしれない。
著者が求めているのは、オキナワの真のコトバなのだ。作家として大量生産する商業ベースのことばではないのである。かつて著者はあるエッセーのなかで、「長寿の島沖縄」で取材してほしいという東京の出版社の依頼を、通俗的なイメージを補強するだけだからと断った、批評家は沖縄という特権に頼って作品が成立するかのように言うが、依然沖縄は「貧しい」のだ、と書いていた。この姿勢は、状況を一つ一つ地味に変革するというよりも、ただ目前の秩序の暴力的破壊を願うテロリストの怒りの心境に近いのではないか。つまり今沖縄のことを安易に語ってしまうのではなく、むしろ語ろうとしても語れない沈黙をこそ切り裂くべきだ、と訴えていると思われた。文学表現からは遥かに遠いところにある沈黙を、文学は取り戻さなければならないということなのであろう。そうした沖縄は本土の譬喩としてあり、実はすべての日本人にとって逃れがたい現実であることは、言うまでもない。
◆『沖縄タイムス』2003年11月1日
広がりある寓意性と比喩的表現の充溢
評者:新城郁夫(琉球大学助教授)
強く惹きつけられたのは、表紙に写しだされた老婆の姿の、異様なまでの厳粛さに打たれたためというばかりではなかった。新著『平和通りと名付けられた街を歩いて 目取真俊初期短篇集』(影書房)に収められた一九八〇年代に発表された目取真俊の懐かしい小説たちを読み返しているうち、この作家独特の言葉の強度に揺さぶられ、ついには、懐かしさとは全く異なる切迫した思いにとらわれていたのだった。
「魚群記」「雛」「蜘蛛」「マーが見た空」に表題作を合わせて、五つの短篇小説が収められているのが本書なのだが、どの作品をとってみても、広がりのある寓意性とメタフォリカルな表現の充溢が見られ、特に、その身体感覚の表出について言えば、後の「水滴」や「魂込め」といった目取真の代表作品をも凌ぐほどの、見事な達成を読みとどけることができる。
本書は、だから、習作といった留保によって読まれるべきではなく、また、「初期」などという括りさえも必要としていないと言うべきだろう。むしろ、私たち読者には、荒削りな構成や混沌を隠さぬ小説展開のなかに、目取真俊というすぐれた小説家の、表現の源流を見つけ出すことが許されているのだ。
話題となることの多い表題作「平和通りと名付けられた街を歩いて」(第十二回新沖縄文学賞)の堅実な出来もむろん良いには違いないが、細やかな表現で細部を磨きあげながら、同時に、恐いほどの想像力の飛躍を見せる「雛」(一九八五年)は、なかんずく忘れがたい一篇である。
この「雛」を筆頭に、これまで手軽に読むことが困難となっていた目取真俊の一九八〇年代の小説たちに、こうして再び出会うことができることに大きな喜びを感じながら、いわずもがなと思いつつ、次なる新作への期待がふつふつと沸き上がってくるのを抑えることは、やはり難しかったことを記しておこう。
◆『毎日新聞』2004年1月5日(吉岡 忍)
×月×日
勢いにまかせて、沖縄の小説家、目取真俊の初期小説集『平和通りと名付けられた街を歩いて』を読む。皇太子夫妻の沖縄訪問を機に、耄碌した老婆と小学生の孫が突拍子もない行動に出る。その動機にひそむ戦争の記憶が生々しい。最後、バスに乗ってピクニックに出かける二人の姿は、まるで60年代の映画『真夜中のカーボーイ』の沖縄版。黒眼鏡の目取真はほんとうはきっとユーモア作家だ。
◆『ダ・ヴィンチ』2003年11月号
『水滴』で芥川賞を受賞した後も、生まれ育った沖縄で高校教師を続けながら作家活動をしている著者。この最新短編集は、新沖縄文学賞受賞の表題作の他、「魚群記」「雛」「蜘蛛」「マーの見た空」など、骨太の反骨精神にあふれた、著者の鋭い視点が光る初期作品を収録。(武)
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