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■2017年3月16日 衆議院・安全保障委員会
稲田朋美防衛大臣に対する横路孝弘(民進)の質疑 文字起こし(前半)



動画URL:https://www.youtube.com/watch?v=uB4RDvB7T78&feature=youtu.be


「森友学園問題」の核心のひとつは、この「教育勅語」に象徴される「思想」にある。

現時点では、この問題はカネの授受における点では「大山鳴動……」で終わる可能性もある。
しかし教育勅語に象徴される、現内閣の中枢をも含む彼らの復古的極右思想の拡張によって、戦後民主主義の息の根を止めるという目的が彼らの「利益」だと考えれば、今回の事件はそれを達成するための「利益供与」ということになるのではないか。

実はこちらの側面のほうが、個人の金銭の贈収賄よりはるかに深刻で危険だろう。
刑事罰に問うのは難しいのかもしれないが、内閣の中枢が極右であるという状況を国会は放置してはならないし、放置させてはならないだろう。

横路孝弘議員の質問は、その意味で意義深く、時宜を得たものだったと思う。

【2017/3/17 記】




【以下、文字起こし】
(*一部省略しています。誤字・脱字・変換ミス等はご容赦ください。)

横路:(自作年表を示し)最初の出兵である1874年の台湾出兵から太平洋戦争が終わるまでの71年間に、日本は15回の出兵、日清、日露、日中、太平洋戦争と4回の戦争が行われています。教育勅語は1890年ですよね。

稲田大臣は教育勅語を、道義国家を目指す精神は日本として取り戻すべきだと発言・評価をされておりますが、問題は教育勅語が戦前の日本軍による戦争や侵略行為の中でどんな役割を果たしてきたか、というのが大事なんですね。

大臣は昭和の日本が軍事化を進め軍事国家となっていった中で教育勅語がどんな役割を果たしてきたとお考えでしょうか。


稲田:本件は防衛大臣の所管ではなく、お答えする立場にはありません。ただわたくしが今まで森友学園に関して国会の中で教育勅語に関して随時質問されお答えしてきたのは「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ」など、今日でも通用する普遍的な内容を含んでいるということを、答弁してきたところでございます。

教育勅語を戦前のように教育の唯一の根本理念として復活させるべきとは考えておりません。


横路:自分の管轄じゃないから答弁できないというのはおかしいんで、今の自衛隊というのは戦前の日本軍の様々やった過ちや失敗を教訓として今日あるわけですよね。ですからもちろん戦前の歴史がどうなのかということは、自衛隊の責任者としてはその認識は非常に大事だと思いますよ。

教育勅語というのは治安維持法のもとで、国民教育の思想的な基礎として神聖化されていったんです。教育勅語の写しは御真影とともに奉安殿に保管されて、生徒には全文を暗証することが強く求められたんですね。

特に1938年に国家総動員法が制定されると、その体制を正当化するために利用される形で、「軍国主義の経典」として利用されてきたんですよ。

いまお話しになった教育勅語の12の徳目の始めのほうの話は、これは当たり前の話であってですね、いつの時代でもどこでもこうであるべきだという話だと思いますよ。だからそこに特徴があるわけではなくて、問題は12番の「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」、ここがやはり一番のポイントでですね、そこでわざわざ御真影とともに奉安殿に保管して生徒が暗証すると、こういうことになったわけですよ。

そう思いませんか? そのことをどう受け止められます? そういう扱いをされたということについて。


稲田:教育勅語に関してどのように解釈するかは、防衛大臣の所管ではなく、お答えは差し控えたいと思いますが、教育勅語を戦前のように教育の唯一の根本理念として復活させるべきとは考えてはおりません。


横路:戦後の教育基本法にいたる経過をご紹介したいと思いますが、昭和20年、終戦の年ですね、幣原喜重郎総理大臣の時に、文部大臣は安倍能成さんがなりました。アメリカから使節団がやってきたんですね。その時に彼(文部大臣)が、日本の教育制度の改革のためにと言って、どんなあいさつをしたか。

「始めべからざる戦争を始め、継続すべからざる戦争を継続して、今日の悲惨を招くに至ったのは、歪んんだ日本の教育にその一因がある。日本の教育改革が絶対に必要であることは、天下の世論である。その改革の方向は、たんに軍国主義、過激国家主義を払拭するのみではなく、なぜ軍国主義、過激国家主義に軽々しく染まったのか、その基礎を深く反省しなければならない。その反省には、日本的なものとかアメリカ的なものという区別はありえない。真の人類的な高邁な理想に基づいて進まなければならない。」

そして使節団に対してですね、「日本は過去における占領政策において極めて多くの失敗をした。朝鮮において、中国において、満洲において、南方においても然りである。それはその国の伝統と実情を無視し、自分勝手な政策を力をもって強いたからだ。わたくしは米国に対して衷心より日本の犯した失敗を、米国が日本に対して繰り返さないことを祈る」と、こういう挨拶をしてですね、使節団の団長が立ち上がって握手を求めたというような光景がございました。

戦後の教育基本法の制定にあたってはですね、田中耕太郎、天野貞祐、芦田均、南原繁、安倍能成、こういう人たちが担当したんですね。こういう人たちは戦争中、命をかけてリベラリズムの思想を守った人たちです。思想の幅は非常にあるけれども、その一点で戦争に対して非常に厳しい意見を持っていた人たちです。

リベラリズムの思想というのは、人間の尊厳を守り、魂の自立を支え、市民的自由が最大限確保できるように、社会的・経済的制度を模索して、社会的・政治的運動なり、学問の研究を展開することを意味しているんです。

田中耕太郎さんは、ファシズム国家も共産主義国家も、そして日本の軍国主義のもとにおける教育も、教育が国家に奉仕する目的とされたと、しかし教育はやはり国家の奴隷ではなかったんだと、述べられています。

したがって戦後にできた教育基本法は、一人ひとりの人間の人格を形成を目指して、平和的な国家と社会の形成者として育成する、ということになったんですね。

この田中耕太郎さんの意見についてはどう思われますか?

稲田:先ほどご答弁しましたように、教育勅語を戦前のように教育の唯一の根本理念として復活させるべきとはわたくしも考えておりません。国会の中で答弁してきましたのは、そのなかにも夫婦仲良くとか、兄弟仲良く、友だち仲良く、世界から尊敬される国を目指しましょうという部分において、今も普遍的なものはあるということであります。
また、教育勅語については、日本国憲法および教育基本法の制定等をもって効力が喪失していると承知をいたしております。

横路:いま田中耕太郎さんの話を紹介しましたが、やはり教育というのは国家の奴隷ではないんだと、一人ひとりの人間の人格を形成することなんだと、こういう点についてはどう思います?

稲田:教育はまさしく一人ひとりの人格を形成するものであるという点についてはまったく同意いたします。

横路:(資料:衆・参議員の決議から)
衆議院の決議(「教育勅語等排除に関する決議」:参照リンク http://www.geocities.jp/nakanolib/etc/haijo.htm )は、「民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある」と。

しかしなお今日もですね、その教育勅語が、指導原理としての性格を持っているかのように誤解されるのは残念だ、というようなことが書かれています。戦後のことでございますよね」

教育勅語の根本的理念が「主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる」ということで、教育勅語とはどういうものであったかがここに明確に、衆議院の決議としてあります。この点はどうですか? 教育勅語の根本理念というのは、あなたの言ったように親を大事にしようとか友達を大事にしようとかいうことより以上に、根本的理念がここにあるんだということを決議しておりますが、この点をどう思いますか?

稲田:先ほども申し上げましたように、教育勅語を戦前のように唯一の根本理念として復活させるべきなどということはまったく考えていないということでございます。

横路:つまり教育勅語はこの衆議院決議にあるような側面をもっていたと、それが戦争をずっと遂行させることになったという思いから、新しい教育基本法をつくろうということで、変えたわけでしょう。その点はご理解できますか?

稲田:教育勅語について、日本国憲法および教育基本法の制定等をもって法制上の効力が喪失していると承知しております。ご指摘の昭和23年の衆議院本会議における「教育勅語等排除に関する決議」では、「憲法第九十八条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言」したものと承知をいたしております。

横路:そして今度は参議院の決議(「教育勅語等の失効確認に関する決議」:参照リンクhttp://www.geocities.jp/nakanolib/etc/shikkou.htm )ですね。参議院決議は「教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した」と。しかし「教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にする」と。その当時の話ですよ。しかし残念ながら大臣のように、いまになっても教育勅語にこだわっておられる方がおられるわけですから。この意味わかります? (略)しかしいまなおその教育勅語にとらわれている人がいる、というのが1948年6月の参議院の決議なわけですよね。あなた今でもとらわれているんじゃないですか?

稲田:とらわれているということではなくて、その教育勅語の中に書かれているものの中には、今も普遍的な価値、すなわち親孝行、兄弟仲良く、夫婦仲良く、友だちを大切にする、高い倫理観で世界から尊敬される(国を目指す)などですね、そういうものはあると、いいものは残すと、まさしく不易と流行ということだという趣旨で述べたところであります。

いずれにいたしましても、教育勅語の解釈は防衛大臣の所管ではなく、お答えは差し控えたいですけれども、教育勅語を戦前のように唯一の根本理念として復活させるべきとは考えてはおりません。

横路:別にあなたに教育勅語の解釈を求めているわけではないんです。教育勅語というものが戦前の日本の社会の中でどういう役割を果たしたのかということなんですよね。親孝行とかなんとかは別に教育勅語を引かなくたっていいじゃないですか。わざわざ教育勅語を引用して、ご説明されるからですね、あなたの目指しているものはやはり教育勅語下の社会なんだということになるわけでしょう。

安倍内閣はですね、このあいだの施政方針演説の時に、次の70年間を見据えて新しい未来をつくろうという話をされたでしょう。

先ほどの出兵と言論統制の歴史(年表)を見てもらいたいんですが、戦前の70年間は、先ほども言ったように15回も出兵してるんですよ。4回戦争をやっているんですよ。そして表現の自由はここに書いてあるように、いよいよになりました。これは大日本国憲法下の71年ですよ。そして戦後の70年というのは、日本国憲法のもとにあって、一発の弾丸も打たず一人の戦死者も出さなかった70年でしょう。どっちの70年がいいんですか? つまりこれからの70年はどっちの70年を選択されます?

教育勅語というのは、その戦前の70年間の象徴なんですよ。それをあなたに分かってもらいたくて、わたくしはこういう質問をしているんですよ。


稲田:総理が所信の中でふれられていること、そしてご指摘のように戦後日本の歩みは、一つの国も侵略することなく、一つの戦争もすることもなく、平和で安定した国家を築いてきたと。世界で最も平和な国を築いてきたと、いう誇りを持って、気概を持って、いま現行憲法の下で、憲法が許す範囲において、日本が積極的に世界の平和にも貢献をしていく、そして力による変更ではなく、法と秩序、そして普遍的な人権や自由やといった価値観を共有する国々と協力をして、平和な世界を築いていこうという方針でございます。


横路:つまり、この70年間というのは誇るべき日本として、世界に誇るべき時代だったんですよ。先の70年というのは戦争があったりして非常に大変だった。人々の基本的人権も色んな制限を受けたということは年表に書いてある通りですよ。そうするとこれからの70年間も、昔に戻るんじゃなくて、今までの70年間の平和をベースとしてやっていかなくてはいけないと、いうことをあなたに伝えたかったわけであります。

戦争をするにはどんな体制が必要なのかというと、まず教育ですよね。教育勅語は1890年です。教育勅語のもとで子どもたちは天皇につくし、美しく散ることが唯一の価値だと教えこんだわけですよ。国家に奉仕して国家のために死ぬということのできるような人間をつくるということが、客観的に言うと教育勅語の果たした役割なんです。
それから同時に情報管理体制のための秘密保護法を制定してですね、国民に情報を提供しない、秘密を保護する、知ろうとする者には厳しく刑罰を科すという体制が出来てますよね。治安維持の体制であります。治安維持法もだんだん強化されて、戦争に反対する発言や行動はどんどん取り締まりをされていくんです。

私のところの北海道で綴り方教室の事件と図画事件というのがあります。釧路で行われた図画事件というのは、炭鉱夫の日常生活を描いた絵が今の社会を暗く描いているというので、治安維持法違反で教員が逮捕されてるんですよ。作文だって「お父さんがいなくなって大変だ」というような作文を書いただけで、これは戦争に反対してるというんで逮捕されているわけですよ、現実の問題として。
そして最後には国家総動員法の体制、その間テロやクーデターもあって、軍事国家になっていったわけですね。
この年表を見て、どのように考えられますか? 受け止められますか? 感想を聞かせていただきたい。

稲田:戦後70年の節目に総理が談話を出されました。その時もまさしく委員がご指摘にったように、軍部の暴走を民主主義がすなわち政治が止めることが出来なかった歴史については、しっかりと反省もし、さらに戦後の平和なあゆみについて誇りを持ち、そして我が国を取り巻くきびしい環境の中で、力ではなく、法の支配による平和の構築を目指さなければならないと感じているところです。【23:40】


(以下、稲田氏の歴史認識についての追及が続く……)