★「出版で富を欲望するのは、犯罪に等しいことだ。」
栗原哲也著
神保町の窓から
2012年10月刊
四六判上製 300頁
定価 2200円+税
ISBN978-4-87714-428-9 C0000
●目次
●書評
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「出版は資本主義には似合わない」
「本は一人では作れない、などと訳知り顔で言っていても、そう思いそう行動していただろうか。一人よがりではなかったか、身勝手ではなかったか。」
……本の街、東京神田神保町の小出版社・日本経済評論社を率いる“名物社長”がつづる、本と人をめぐるヒューマン・ドキュメント。半世紀に及ぶ悪戦苦闘・善戦健闘の日々のクロニクル。
〈著者略歴〉栗原哲也
(くりはら・てつや)
1941年、群馬県佐波郡名和村(現伊勢崎市)に生まれる。
1960年、埼玉県立本庄高等学校卒業。
1964年、明治大学文学部史学地理学科卒業。
同年、文雅堂銀行研究社編集部
1970年、日本経済評論社営業部長
1981年、同上代表取締役社長、現在に至る。
『私記 日本経済評論社彷徨の十五年』(1986年)、『私どもはかくありき―日本経済評論社のあとかた』(2008年)、いずれも私家版。
(本書刊行時点)
書 評
●「赤旗」(2012年11月4日) 「本と人と」欄
「“貧乏が友達”の出版哲学」
―― 『神保町の窓から』栗原哲也さん
蔵が建つと思って作り続けた単行本は1769点。
「これがことごとくはずれ。願望はあるけどわれわれがつくっている本はベストセラーになりえないんだ」
地味な学術書専門の小出版社の社長が、自社のPR誌に26年間書き続けたコラムを抄録した本です。著者・出版社列伝であり、経営指南書であり、憲法擁護の立場からの社会評論でもあります。
採算度外視ですか。
「全然度外視してないよ。本の子守り(在庫管理)はあるし、社員を路頭に迷わせるわけにいかないし」
でも〈貧乏と決別できない者だけが出版を続ける〉〈貧乏とは金のないことではない。腹を割って話し合える友達がいないことだ〉と書いています。
「東京に出てきた頃は田舎っぺだった。そしてずっと貧乏。それが悪いかという気持ちはある」
売り上げを新社屋に注がず次の本づくりに回してきたのは、「無名の、これからなにかしようとする学者が本を出そうかなっていう時、そこに俺がいるってことですよ」。
〈出版は企業に成長してしまうと「利」を追求する義務が生じる。すると反体制を貫くことが怪しくなる〉〈著者は客ではない。同志なのだ〉
一度会社を倒産から再建させた苦労人ならではの出版哲学を豊かに実らせ、それが随所に出てきます。
書名の神保町は東京・千代田区の名だたる本の街。3日まで古本まつりでにぎわいました。(神田晴雄)
●「図書新聞」2012年12月15日
なぜ書物を世に出すのか
――身辺雑記的な文章の隅々にまで著者の確固とした出版理念が披瀝されている
評者:野上 暁(元編集者)
明治10年前後から、神田神保町界隈には、東大、お茶ノ水、一橋、専修、明治、中央などの大学の前身が次々に設立された。学生が集まると教科書をはじめとして本の需要が高まり、そこに出版関連会社が集中する。新・古書店、出版社、印刷、製本、取次店など、神田神保町には出版関連会社が軒を並べ、世界でも珍しい高密度の出版街が形成されてきた。
いまでこそ見ることが少なくなったが、すずらん通りの裏側が再開発されて高層ビルが建つまでは、印刷所や製本所や取次会社もたくさんあった。路地裏にインクのにおいが漂い、印刷機の音が聞こえ、道端に製本されたばかりの本が梱包されて積まれ、それを小型トラックに積み込む光景などが見られた。
この本の著者は、震災や空襲を経てもなお、明治期から連綿と続いてきた出版街が変貌をし始める1970年秋に、それまで勤めていた出版社を先輩編集者とともに退職し、先輩を社長にして日本経済評論社を創設した。最初の5年間はピンチもあったが、10年後には社員が20人を超すまで成長した。しかし81年に経営危機に陥り、債権者会議で社長交代を余儀なくされて、やむなく著者が社長に就任する。
当時の未來社社長・西谷能雄から「そんな会社にかかわるな。お前も家族も滅茶苦茶になるぞ」と忠告されたものの、すでに後には退けない。社長として日本経済評論社の再建に向かった頃から、同社発行の小冊子『評論』に記した文章をまとめたのが本書である。それぞれが日付のある文章で、80年代後半から今日までの出版界の様態が、神保町の小さな窓からの光景として描かれていくのだが、身辺雑記的な文章の隅々にまで著者の確固とした出版理念が披瀝されている。そこにはまた、”神田村滅亡”以前の著者や編集者同士でよく飲みよく議論した、頑なともいえる編集者魂や人情の機微も垣間見られ、著者とは面識のないものの、同じ神保町でほぼ同時期に編集者生活を過ごしてきた評者にとっても琴線に触れるエピソードがたくさんあった。
債権になど関わるなと忠告した西谷は、社長となった著者に当時大学生協の指定取次店であった鈴木書店の社長を紹介するなど、様々にバックアップしてくれる。西谷の縁で、当時未來社の編集者で後に影書房を起こした松本昌次とも出会う。この二人から継承した出版理念や編集者魂が、著者の信念を裏打ちしているのだろう。市場原理に足をすくわれ、足元を見失って右往左往している出版業界の現状に対して、なぜ書物を世に出すのかを根本から問いかける鋭い提言が随所に散りばめられている。それらは、出版人にとって有益であるとともに、このような編集者が第一線で活躍しているということは、読書人にとっても心強い。
「文化がゆがめられているということは、自然が痛めつけられ破壊されていることと同義である。経済的に言えば、人間に役立たなくても、金儲けになればよいという資本の原理である。こういう環境の下で、人間自身に悪影響が出てきている。人間関係がおかしくなり、耐える力、想像する力、自己決定する力が欠如してきた。子どもを企業に高く売りつけるために、企業好みの子を育てる。自然がこければ人間もこけるということを今胸に刻んでおきたい」「出版は大きくなれる発展企業ではないことを承知して、拡大だの成長だのを経営の基本にしないことが大事に思える。取次も出版社も同じだ」「出版は原則として『小』でなければならない。企業に成長してしまうと、『利』を追求する義務が生ずる」などなど、いずれも今日の出版界を睨んでの警句だが、現代社会総体に対する提言としても有効である。「『出版の危機』といわれ続けているが、危機とは儲からないことを愚痴っているのではないか」とはまさしくその通り。「本当の危機はちがうところにある。出版で富を欲望するのは、犯罪に等しいことだ」とは、極めて過激だが、「市場原理と科学技術が手を結んだとき、人間の欲望はより悪へと暴走する」という福島原発事故への見解は、我々に猛省を促す。
民主党野田政権は、マニフェストになかった消費増税を決めた上に、アメリカと財界の圧力で脱原発を閣議決定することもなく崩壊した。自民党は「美しい日本」などという空虚な言葉を掲げ、原発で列島を汚染させて日本の居住地域を著しく縮小させておきながら、領土問題で隣国に反日感情を高揚させ、それに対抗すべく復古教育や憲法改悪をもくろむ元首相を総裁に担ぎ上げる。そして年末には総選挙である。日本そのものがファシズム前夜を予兆させるような危うい現在だからこそ、市場原理にくみしない編集者の自由闊達で果敢な出版活動が価値を持つ。80歳を超えてもなお現役前身編集者を貫いている松本昌次に次ぐ著者の、これからにエールを送りたい。
●「本の雑誌」2013年1月号
神田神保町に移転して半年、毎日のように界隈を回遊しているが、靖国通りもすずらん通りもいつも人がいっぱい。新刊書店は賑わっているし、古書店の店頭も人だかりがしている。出版不況なんてどこの国の話だ?と思ってしまうほどに盛況だ。しかしよく見ると、三省堂書店本店のノンフィクション部門の売上げ第一位が二週連続で『出版・新聞・絶望未来』(山田順/東洋経済新報社)だったりして、なんだい、神保町の書店を賑わせているのは業界人ばかりか、と苦笑したりもするのだが、逆に言えば出版界の人間は本を買っているという証左でもあり、せめてもの救いかもしれない。
『神保町の窓から』の著者・栗原哲也も書名のとおり「神保町にある、小さな出版社で働いてきた、そしていまも働いている、歯牙ない男」で、「駿河台下から九段下までの四つの信号の間で、もう何十年も徘徊し」、「この街に包まれて生きてき」た神保町の主のような人。学術書の専門出版社である日本経済評論社の社長であり、本書は同社のPR誌「評論」に掲載された「神保町の窓から」というコラムをまとめたものである。
収録されたコラムのうち、もっとも古いのが1986年の7月、新しいのが2012年6月だから、ざっと26年分。バブル景気の発生、崩壊があり、出版界の売上げも96年にピークを迎え、以降、着々と右肩下がりを続けている。そんな激動の時代の記録なのだが、神保町の社長の言は、26年前も今も変わらない。たとえば90年6月に著者はこう記している。「四月は小社の決算だ。利益が出たか出ないかは問題ではない。確かに言えることは、本を出しながら食ってきたということ」。そして2010年6月には「また決算月がやってきた。毎年のことながら、あまり歓迎できる月ではない。出版界はあの社もこの社も決算数字を下げて、渋面をつくっている。悲鳴をあげている人もいるが、やめたいと言っている人は見あたらない。本来、出版は苦しいときほど愉しいはずなのだ」と記す。そして貧乏な出版社が専門書を刊行し続けられるのは出版社と著者が正面から向き合い支え合ってきたからだと主張するのだ。「著者は客ではない。同志なのだ。著者と読者との仲立ちこそわれわれの仕事なのだ」と。
日本経済評論社は、2011年度の発行点数が52点。総発行部数53000部だという。「出版は資本主義には似合わない」。帯のコピーに激しく共感しつつ、私も「神保町の窓を開けて」から消えた神田村に思いをはせるのである。(浜)
●三省堂書店ブログ「神保町の匠」より
http://www.books-sanseido.co.jp/blog/takumi/2012/11/post-442.html
やせ我慢とユーモア
評者:中嶋 廣(編集者)
日本経済評論社のPR誌『評論』の名物コラムを編集してまとめたもの。著者はこの出版社の社長である。一篇ずつは短いが、いずれも実に面白く、またしみじみとして、ときに怒りに満ち、まるで多彩な掌編小説を読むようだ。
日本経済評論社は経済を中心とする学術専門出版社で、また『国民所得倍増計画資料』のような膨大な資料の刊行も手がける。そういうといかにもお堅い出版社だが、その中心でマグマのように燃えたぎる精神がすごい。「出版はその根源には知識を流布するという実業にはない側面がある。知識というのでは言葉がたらない。魂と言おう。」これは「出版は虚業なのか」と題する一篇の一節。魂を伝える経済専門出版社! こういう理想を掲げると、当然仕事も人生もあらゆる面で厳しくなる。
まず、売れることを目的とする本は出せない。それは魂に対する冒瀆である。学者のオリジナルな研究でないものも、できれば出したくないだろう。すると、易しい教科書・参考書や資格試験問題集でひと稼ぎ、という路線も取れなくなる。ひたすら志高く歩むしかないが、それは仕事の現実では、しばしば坂道を転がり落ちることである。昇らんとして堕ちる、この矛盾に対し、そこで「ぐい」と踏ん張り、やせ我慢してミエを切った記録が本書である。
苦難は、本の売れ行きが悪いというような日常一般の事から、倉庫の火事のような大きなものにまで及ぶ。在庫がほとんど焼けてしまったとき、著者はこう書く。「多くの人が見舞いにきてくれた。また、『印税も払わんうちに燃やす奴があるか』と小言を言う人もいた。『不良在庫がなくなってよかったね』と見当違いの激励もあった。」苦境を見据えるこのユーモア。それが随所にちりばめられている。この感覚こそが、古今東西の優れた出版人の共通点だろう。だからこそ本書は、すべての編集者、出版関係者の必読書になる。
1986年から2012年までのコラムを集めたものなので、登場人物や出版した本、また出版界の変遷など、話題は実に多岐にわたる。著者が苦境を救われ、理想を掲げることを学んだ未来社の創業者・西谷能雄氏や、戦後半世紀を越えて現役編集者を続ける本書版元・影書房の松本昌次さんなど、出てくる人物も千両役者揃いである。
ここに書かれた出版と、この数年、刊行点数ばかりが増え、売り上げが減り、価値のある本も減ったといわれる現在の出版界とは、何が違うのか。本質を突く一節を引いておく。「研究書の神髄は、その研究者の到達点を表現しているかどうかなのだ。またその著者とどのように知り合い、親交を重ね、お互いの魂をどれだけ理解しあっているかなのだ。著者の顔も見ないで出版するな、酒も飲まずにその人となりが分かったような気になるな。」これが果たされないと、本は生命を得ることができない、と著者は言う。
最後に一つ、個人的な想い出を書く。「『あくね』という酒亭」という一篇がある。彼女が郷里で亡くなったことを知り、書かれたものだ。この店は神保町にあり、鹿児島の阿久根出身のマダムがやっていた。著者はここでさまざまな出版社の編集者や著者に会う。私は1978年に出版社に入り、そこは三カ月でつぶれてしまったけれど、そのころこの店で小野二郎さんや坂本一亀さんに会った。忘れがたい店である。
なお本書に書かれた以前の、創業から困難を極めた時期を中心とする社史(著者は非公認私史という)に、『私どもはかくありき―日本経済評論社のあとかた―』がある。こちらは非売品だが、まれに古書店で見かける。これも抜群に面白い。
●サンデー毎日 2012年11月11日号より
http://mainichi.jp/feature/news/20121030org00m040004000c2.html
2012年10月30日「サンデーらいぶらりぃ」:岡崎武志・評
◆『神保町の窓から』栗原哲也・著(影書房/税込み2310円)
「四月は小社の決算だ。利益が出たか出ないかは問題ではない。確かに言えることは、本を出しながら食ってきたということ」。これが日本経済評論社という出版社を率いてきた栗原哲也が1990年6月に記した文章。『神保町の窓から』は、東京・神保町に居を構え、学術書を出し続けて半世紀に及ぶ出版人が日々をつづる。厳しい出版状況を生き抜く姿勢がいい。前掲文の続き。「この時期だけは、この社に巣食う一人一人を抱きしめてやりたくなる」